アパレルの会社にいた私が服にお金をかけない理由
こんにちは、この間めっちゃ理不尽な流れ(かつ、いろいろあって誰のことも責めづらい)でギャラを減らされ、思い出すたびに怒りで煮えたぎっています宇井都です。
不安定なフリーの立場、お金の話にはどうしても神経質に…なっているかと見せかけて実はそうでもなく笑
結構欲しいものとかはフラフラ買っちゃうし、特にお酒飲んだり美味しいもの食べたりすることにはためらいなくお金を使っちゃいます。
そんな財布のヒモぐずぐずの私ですが、洋服代は、めちゃくちゃケチります。高いもの一切買いません。安物まみれです。どのくらい安物まみれかというと、「ZARAって割と高いよね」とか思い始めちゃってるくらいまみれています。
手持ちの服の9割が、H&MとZARAとUNIQLOとFOREVER21で出来ています。
どうだ、貧乏くさいだろう。もとい、現代っ子だろう。
とはいえ昔は全然そうではなかったのです。洋服好きだし、小さい頃から割と親に「高いものを着ておけ」みたいな教育も受けてきましたし。
じゃあ何で今こんなにも安物ばかり着ているか?と言うと、最も大きな理由はお金がないから「以前アパレルをやっている会社に勤めていたため、洋服の価値の現実が見えてしまったから」ということになると思います。
洋服が好きだったのに、仕事で洋服を見るようになって、洋服から離れていった私。
一体どういうことなのか、ちょっと掘り下げて書いていこうと思います。
⑴5年10年着られる服などありはしない
洋服、特に高い服をお客さんに売る際の殺し文句に、こういうものがあります。
「同じようなデザインの安物もありますけど、こういうベーシックなものは高いものを買っておいたほうが何年でも持つし、長い目でみれば結局お得ですよ」
これはもう、嘘ってことでいいと思います。嘘です。絶対に嘘です。
質のいいものは素敵です。お値段の高いものは大抵質が良く、安物とは別格の見栄えをします。それは否定しません。ただ、それが長い目で見てお得だなんていうのは大嘘です。
どんなベーシックアイテムも、流行の波に抗うことは出来ません。白シャツやGパン、シンプルなパンプス、トレンチコート。こんなデザインなら何年先でも着れるかも…とついつい思わされてしまいますが、細かなシルエットの違いで、古いものは結局古くなってしまうのです。流行という意味でいうと、服の寿命は最短半年、もって4年くらいではないでしょうか。5年10年も素敵に着れる服なんてそうそうない、いや、ない。
タンスの肥やしになる未来が見えています。
高いものを買っても、安いものを買っても、服の命は短い。
これが現実です。でなければ、洋服屋は潰れてしまいますからね。
あとは個人の選択です。半年しか着れないとしても、この服を買いたい!そう思える服になら、いくら出したって高くはないと私は思います。が、私個人としては、そんな服には滅多に出会わないので、「どうせ古くなっちゃうし、安いのでいいや」となるわけです。
⑵値段と品質は必ずしも比例しない
これはもう見出しの通りなのですが。
値段は安いけど、品質のいい洋服もある。これは真実。
そして、
値段は高いけど、縫製ガタガタ、着たその日にダメになる服もある。これもまた真実。
洋服の値段は、品質よりも何よりもデザインとブランドで決まります。
それが悪いことだとは思いません。洋服を買うということは、着るものを買うことではなくて、イメージを買うということです。だから、質の高いイメージを提供してくれるブランド商品や、デザインが良い商品が高いのは当然なのです。
どんなに丈夫だろうと縫製が美しかろうと、ノーブランドの服はタダ同然。
洋服ってのはそういうものです。
さらにいうと、ブランドものの価値・イメージというのは、そのブランドを知っている人にしか伝わりません。みんながルイ・ヴィトンを知っているからこそ、ルイ・ヴィトンの財布には価値がある。そんなメジャーなブランドものを持つのは照れくさいと言って少しマイナーなブランドの財布を持つとしても、やっていることは同じです。マイナーなブランドを知っている「わかっている人たち」同士で、目配せをし合うわけです。
しつこいようですが、そういった洋服のあり方を否定したいわけではありません。ただ、私は「高いお金を払って身につけたいほどのブランドイメージを知らない」のです。少なくとも今はまだ。お金を払うほどこのブランドが好きなわけじゃないから、安物でいっか。というわけなのです。
⑶無理して高い服を着るとダサくなる
実はこの理由が最大。これは洋服を買いに来ているお客さんを見ていて思ったことです。なんと失礼な、と思われるかもしれませんが、私自身も身に覚えがあるので理由として挙げています。
お金持ちは、高い服を着こなすのが上手です。なぜなら、執着しないからです。
「これ素敵ねえ」と言って値段も見ずに気に入った服をさっと買い、出し惜しみせずに日常的に使います。メンテナンスもスマート。専門のお店にクリーニングやお直しを頼んでいい状態をキープしつつ、飽きてしまったり、流行に合わなくなってきたらさっと処分する。
そういうお金を持ったお客さんを見ていて、私は悟りました。「人は分相応の格好をするのが一番である」と。
お金はないけど、どうしてもこの服が欲しい!と言って、たとえばローンを組んででも高い服を買う。それはそれですごく素敵なことです。が、洋服を素敵に着こなすという視点でいうと、あまり良い結果を生まない。
なぜなら、そうやって無理に高い服を買うと、どうしたって執着が生まれるからです。とっておきの時に着ていきたい。他の服とあってなくても着ていきたい。古くなっても手放したくない。似合わなくなっても着ていたい。古くなっても着ていたい。ダサくなっても捨てられない。「だって高かったんだもん」
…って、なりませんか?私はなりますね。お客さんを見ていてもそういう人は少なくありませんでした。
だから思ったのです。「金持ちが高い服を着こなしているように、スマートに着こなせるレベルのものを着て暮らそう」と。
メンテナンスをめんどくさがる私に、麻やシルクの服は向いていません。とても素敵なのはわかっていますが。
まともにメンテナンスをしていない上質な品よりも、きちんと手入れの行き届いた(もしくは新品の)安物の方が、はるかに素敵に見えるものです。
また安物であれば、自分に似合っているか似合ってないか?を冷静に判断することができます。執着がないから。執着を捨てて、常に自分に一番似合うと思うものを選ぶ。そのために、私は高いものを買うのをやめました。
⑷安い服なら冒険ができる
あともう一つ、これはむしろ安い服を着るようになって気づいたことですが、
安い服なら失敗しても許せる、というのも大きなメリットです。
高いものを買うときは失敗したくないから、どうしても、自分に似合うとわかっているもの、これまで自分が買ってきた服と合うものを選んでしまいがちです。
結果、似たような服が増えていったり、いまいちおしゃれが進歩しなかったり。
でも安い服なら「まあ失敗しても1500円だし」となる。そういう服が、意外な発見をもたらしてくれることが少なくないのです。
そもそもすごくオシャレの感覚が鋭い人なら、そんなこと必要ないのかもしれませんけど、私自身はこのやり方が気に入ってますね。
ていうかそもそも洋服より体作りの方が大事だと思ってる…
ま、いろいろ述べてきましたけど、本当に、こればっかりは好みとしか言いようがないのですよね。
本当に服が好きな人からすると、ふざけんなって感じの主張ばかりだと思います。
結局私は、洋服にそこまで興味がないという、それだけの話なのだと思います。美しい服は作品であると思うし、それに価値を見出せる人がお金を払うことには、何の問題もないです。っていうか素晴らしいです。
洋服好きのお洒落な人は、私の格好見て「貧乏くさ!だせー」と思うのかもしれない。それは仕方ないし、あまり気になりません。だって貧乏だもん。ブランドものとか買えないもん。私は高い服着ている人見て「おしゃれだなあ」と普通に思います。お洒落な人素敵です。
まあ、ていうかそもそもね、最近筋トレにはまってる私からいたしますと、たっかいGパンに包まれたダラ尻よりも、安物のGパンからはち切れんばかりに主張する若々しい美尻の方が100倍素敵に見えるとか、そういう話もあったりするんですよ。
美しい体に勝るファッションなし。
まあ、美しい体の人がお洒落したら最強だけどもね。
以上でございます。
宇井都
あなたの組織は大丈夫?
こんばんは。ミニドローンを購入した十専口人です。今バリバリ練習中です。いずれ本物のドローンも飛ばせるようになります!ᕦ(ò_óˇ)ᕤ
このブログを始めてから2ヶ月が経ちました。時が経つのはあっという間ですね。毎日真剣に生きないとなって思います。
さて、今回は「組織」について考えてみます。あなたが属している組織は、活性化していますか?それとも不活性ですか?
どんな組織に属するかで、あなたの成長度合いも変わってきます。延いては人生にまで影響をもたらすものです。もし、不活性な組織に属しているのであれば、今すぐ何とかした方が良いです。
不活性な組織とは?
不活性な組織とはどんな組織のことを言うのでしょうか?不活性とは、活性、つまり活力を奪うことです。ここでは、活力が生まれない組織や活力を奪う組織のことを「不活性な組織」と定義します。この組織には、いくつかの特徴があります。
①目標・目的が共有されていない
何の為の作業なのか、どこに向かう為のプロジェクトなのか、どんな組織はを目指しているのか、等が共有されていない組織は、進行も成果が出るスピードも遅いです。大きな組織になればなるほどそれは起こりやすいもので、担当者が変わるだけで丸っきり対応が変わるという経験を皆さんもしたことがあるのではないでしょうか。それは、組織内で目標や目的が共有されていない可能性が高いです。
②組織と個人が切り離されている
メンバーが、仕事を与えられた業務として捉えている組織です。与えられたからやるという意識が強く、与えられなければ何もやらない人達で固められています。何が起きても組織の責任。自分事として捉えられないので、情熱も注げず、仕事に対する本気度も低いです。組織とプライベートをきっちり線引きするので、業務時間外の作業はしない。こんな組織は、どう考えても前進するはずないですよね。
③意見を述べる場が無い
メンバー1人1人の考えや意見を聞く場、発言する場が無い組織も問題です。それが続くと、メンバー全員が、自分はいてもいなくても何も変わらないんだ、という感覚に陥ってしまいます。最終的には、言われたことだけをただやる機械人間の集まりになってしまいます。
また、意見を述べる場が無いということは、考える習慣が無くなるということです。自分で考えることができない人は、ちょっとした状況の変化にも対応することができません。同じミスを何度も繰り返し、一つも改善されないままの組織となってしまいます。
④意見しか言わない
③の逆です。意見は沢山述べるが、何一つ行動に結びついていない組織です。好きなだけ意見を言うが、実行に移す具体的な案は提案されない。現状の否定は沢山するが、改善策は一つも言わない。そういった人達が集まる組織は、問題が起きないよう起きないように動くので、現状維持しかできません。石橋を叩くだけ叩いて、渡る気は全く無いのです。
⑤リスクばかりを主張する
何か新しいことを挑戦しようとしてもリスクばかりに目がいき、失敗しない確実な方法を見つけることに必死な組織です。無難という言葉が大好きで、冒険することが大嫌い。少しでも問題が起きそうだと感じた芽は、すぐに摘み取ってしまう。出る杭は、埋もれるまで打ちまくる。そういう組織では、誰も成長できません。
⑥趣味嗜好で動く
アーティスト集団ならそれでも良いかもしれません。ただ、様々な考えを持った人達が集まる一般的な組織ならば、判断が大きく分かれる趣味嗜好を基準にするべきではありません。人が変われば判断も変わってしまい、組織としての判断までコロコロ変わることになります。そんな組織では、まとまりが生まれるわけありません。好き嫌いの好みで物事を判断するのではなく、そう判断する理由を明確にし、理論的に組織内で共有していくことが大事です。そうすることで、誰もが同じ判断基準を持つことができます。
⑦生産性のない時間が多い
何も決まらない会議、報告だけの会議、議事録や出張報告書などがやたらに多いなど。何も生まない時間が多い組織のことです。会議と報告書だけで一日が終わったという人も沢山いるんじゃないでしょうか。
確かに報連相は組織を活性化するには必要なことです。しかし、それは最低限のレベルにとどめるべきです。非生産的な時間を片っ端から削っていくと、いかに無駄で非効率な時間を過ごしていたのかが分かります。また、生産性の無い時間はメンバーのやる気まで削ぎ落としてしまいます。
不活性な組織の恐ろしさ
不活性な組織の恐ろしいところは、人から人へ無意識のうちに伝染してしまうことです。自分はそういうつもりではなくても、組織にいる内にその雰囲気に慣れてしまい、考え方も自然と染まってしまいます。解決するには2つの方法しかありません。
「抜け出す」か「変える」か。
活性化している組織を見つけてそこへ移る方法。あるいは、自分で組織を活性化させてしまう方法です。どちらも簡単なことではありません。が、やろうと思えばやれることです。
では、活性化している組織とはどんな組織か?また、組織を活性化するにはどうしたら良いのか?
それは次回に☆
by 十専口人
お金の無駄使いを止めるための具体的方法
実は「欲しい!」よりも「必要だ!」が危険
我慢するのではなく、「計画的に買う」。
可能な限りネットで買うようにすると、冷静になれるかも。
ちなみに
まとめ
日本人が英語を上手くならない理由
こんばんは。先ほど大分の出張から戻ってきました十専口人です。非常に眠いです…(-_-)
文章おかしかったらすみません。写真は佐伯市の番匠川です☆
今日は日本人の英語力について書いてみます。日本人に「英語話せますか?」と尋ねると、大抵の人が「話せません」と答えるでしょう。私も2年前まではそうでした。でも、今はペラペラとは言いませんが「少し話せます」と答えることができます。それは何故か?
特段、英語の勉強をしたり、英会話教室に通ったりしたわけではありません。ただ、仕事上、英語を話す機会が多くなったのは確かです。そうやって自分も英語力を身につけていくなかで、日本人が英語を苦手な理由、そして、英語を話せるようになるコツが何となく分かった気がします。
日本人が英語を苦手な理由
①完璧主義だから
完璧主義と言えば聞こえは良いですが、要は完璧に英語で話せないと「話せる」と言ってはいけないと思っている人が多いということです。私もそうでした。だから必死で単語を覚えようとするし、文法をマスターしようとします。そのせいで、実践になると頭の記憶を辿るばかりで、うろ覚えのものは言うのを恐れて言えない、という人が多いと思います。誰でも知っているThank youでさえ、発音が完璧でないと躊躇する人がいます。でも逆に外国人は、片言でも、一つの単語さえ知っていれば平気で口にします。完璧主義も悪くありませんが、挑戦しなければ完璧にはならないでしょう。
②周りの目を気にする
完璧主義に関連してくるところですが、英語力に自信が無い為に、周りから白い目で見られるのを恥ずかしがって躊躇する人が多いです。運動が苦手な人が、体育の授業をサボるのと似ている気がします。とにかく、恥ずかしい思いをしたくない、失敗して笑われたくない、カッコつけてると思われたくない、そんな気持ちがあるのだと思います。これは英語に限らず言えることですが、自分が思っている程、周りはあなたのことを気にしていません。それに、周りがどう思おうが、動かなければ一生できないままです。自分を変えられるのは自分だけです。
③英語を話す機会が圧倒的に少ない
特殊な仕事でなければ、大抵の人が高校で英語学習を卒業してしまいます。英語を話さなくても何不自由なく生きていけるので、話そうとすらしないでしょう。学校教育の英語でさえも、reading、listening、writtingはあっても、speakingのカリキュラムをもつところが殆どありません。だから日本人は圧倒的に話すのが弱いのです。
英語を話せるようになるコツ
では、そんな日本人がどうやったら話せるようになるのでしょうか?私が思うのは、外国人の友人をつくることです。英語を使う仕事に就くというのも手ですが、日本ではそういう職は限られてしまいます。私はたまたま英語を使わざる終えない仕事に就いてしまったので、恥を捨てて身につけるしかなかったのですが。
英語の習得方法に、英語に多く触れるというものがあると思います。英語の音楽やラジオを頻繁に聞いたりするのを勧めるものです。それ自体が無駄とは思いませんが、それよりも遥かに効果が高いのが、人と対することです。
英語を話さなければ伝わらない人、会話できない人を見つけること。そして、その人を大切に思えば思うほど、英語を話したいと思うようになります。
私も仕事上で始まった関係とは言え、今では友達として付き合っている外国人が沢山います。私が英語をもっと話せるようになりたいと思ったのは、彼らともっと話せるようになりたい、もっと理解したい、と思ったのがきっかけです。メールも片言でも英語を使うようにし、ネットスラングなども調べて、見よう見まねで使いました。彼らは日本語が分かる外国人ですが、会ったら英語で話すように心がけています。だから、彼らが日本語で、私が英語を使って会話するという、不思議な現象が起きています(笑)
何にせよ、外国人の友人を作るというのが、一番効果のある英語習得法だと思います。
人だからこそ伝わるもの
やはり、教科書と向き合うのと、人と向き合うのとでは、話したいと思う気持ちが全く違います。人には表情があり仕草があり、声のトーンがあり、その全てで話している内容を受け止めます。教科書とは伝わるものが全然違います。単語は分からなくても、話している内に、身体全体を通して、何を言っているのかが分かるようになっていきます。そのうち、相手の口癖や、ネイティヴの表現を自然と覚えて、使えるようにもなります。何と言っても、片言でも英語を使って相手と会話できると凄く嬉しいです。そして、もっともっと話したいと思うようになります。
本当に効果的なので、是非やってみてください。実際に友達を作るのがハードル高い人は、SNSやチャット、掲示板で初めてみるのも良いと思います。とにかく人と会話をすることが大切です。
by 十専口人
東京の飯は本当にマズイのか?
8割まで書いた記事が綺麗サッパリ消えた!!!!!
でも不思議と心安らかな宇井都です(ストレス耐性アップ中)
前回に引き続き、東京の食の話を。
東京の和食の名店で4万円(ちなみにドリンクとサービス料込みなら5万くらい)使い、マズイ魚を食べるという衝撃体験を経て。
他にも、夫とともにいろいろな店を回って達した結論編です。
東京の魚、だいたい美味しくない。いくら金出しても美味しくない
前回の記事でも書いた通り、高級和食の店で食べたお料理は、たしかに美味しいものもあったのです。
野菜や、エビやカニを使った料理、魚でも、濃いめに味がついた料理はとても美味しかった。
一方で、お造りや焼き物など、素材の味がもろに出る料理はイマイチ、いや不味かった。
となるとやはり、料理人の腕には間違いなくて、問題は素材の方にあるはずです。
名店の刺身のまずさに衝撃を受けた私たちは、ほかのお店でも魚をいただきました。
ある店は、そもそも、濃いめに味をつけた魚しか出していませんでした。そして美味しかった。
しかし別の店では、魚を避けてオーダーする私たちに「うちはお造りが一番有名なんです」と女将さんから一言。で、仕方なくお造りを頼み、やっぱり不味かったのでした(なんの冗談かと思ったけど、あとで口コミを調べたところ、みんなお魚の味を絶賛していました)
ちなみにここでいう「マズイ」はどのくらいマズイのかというと、もちろん、食べた瞬間もどしたくなるほどマズイというわけではありませんが、
「福岡の中心地で、週末どの店も空いてなくて仕方なく入ったガラガラの居酒屋で、期待値ゼロで頼むしょぼい刺し盛り、そんなシチュエーションでも多分一度も食べたことないレベルのまずさ」という感じです。普通にまずい。
夫は、「でも、東京の魚介ががまずいって決めつけるのは早すぎるんじゃない?俺たちが行った店も、高級店といえど、ひとり2万円しか出してないわけで。最高級店に行けば、美味しいお刺身くらいあるんじゃないの?」と言っていました。
たしかにその可能性は否定できません。私たちが行ったのは「最高級」の店ではありませんでしたから。
でも、東京の最高級の和食店ってひとり一食いくらだと思います?3万円くらいですよ。私たちが行ったお店が2万円。あと1万円積んで出てくる刺身って、どんなものなのでしょう。私たちが福岡で食べてる魚より美味しいでしょうか?1万円積むだけでそこまでの飛躍があるとしたら、逆に3万円の店、コスパ良すぎでは?
もしかすると、庶民ではそもそも知ることさえ出来ない、1食10万円とかする超ド級の金持ち専用の会員制の店とかがあるとしたらわかんない。そこでは美味しい魚があるのかな。っていうもうファンタジーの世界。東京の魚は多分、どうしたって福岡より美味しくない。
だって、福岡ですごく美味しい刺身って、ちょっと良いとこ行ってもひとり一食五千円くらいで食べれますよ…。
東京のマグロ、甲殻類、肉、野菜は美味しい(?)
ただ、もちろん、全てにおいて福岡の食が優ってる!なんてこともありません。
福岡で、ちょっと食通の人からよく聞く言葉に「マグロは東京の方がうまいよ」というのがありますが、これはね、あんまりしっかり検証してないですが、真実味がある気がします。
てかそもそも、福岡でマグロって、あまり食べないんですよね。高級鮨屋とかに行けばあるんでしょうが。美味しいのが確保できないから食べないのかなあ。
東京で少しだけたべたマグロのお刺身は、福岡で食べるマグロと同じか、もっと美味しいと感じました。
あとは、エビとかカニも美味しかった。エビとかカニは、お刺身ではなく、お料理に使われているのを食べる程度でしたが。
でももしかしたらこれも、福岡ではあまりエビやカニを食べないからかもしれない。 少なくとも他の魚ほどは食べないから、私たちが食べ慣れていないために、美味しいと感じたのかもしれません。
あるいは、魚に比べて、エビやカニは劣化しづらい素材であるとか?よくわかりません。
北海道行ったことないんですが、北海道とかだとカニが美味いとかいうから、北海道の人が東京きたら「カニまっずー」とか思うのかしら。とか。野菜も同じ感じ。
お肉料理も美味しかったです。東京にで食べるお肉は、素材云々もそうですが、何より調理がすごかった。火の入れ方、味付けの仕方に、最先端・最高峰の技術を感じましたね。
東京には最高の技術と最高の素材が集まるかもしれないが、素材の一部は集まる間に劣化する
というのが私と夫の出したとりあえずの結論です。
東京は店の数も人の数も多く、日本中から集まってきた料理人が腕を競い合う土地。料理人の質は最高、素材ももちろん良いものが集まってきます(ただし高級店にかぎる)。
ですが、素材は流通する間にどうしても劣化します。
だから、どんな土地から来た人でも、「自分の出身地ではもっと高品質な状態で食べられる素材」が東京では美味しくないと感じるし、一方で、東京だからこそ、「自分の出身地では食べられない高品質食材」に触れることもできて、そういうものはおいしいと感じる。少なくとも、自分の土地で食べるよりは、東京のほうがいい状態で食べられるものもたくさんあるはずです。
よって、魚が美味しくて野菜が美味しくない地域の人が東京に来ると『魚はまずいけど野菜が美味しいね』と言うでしょうし、野菜が美味しくて肉が美味しくない地域の人が東京にくると「野菜はまずいけど肉が美味しいね」と言うでしょう。
どんなに美味しい素材を仕入れても、その素材を最高の状態でいただけるのは、やはり産地ならではの特権なのですね。
一方で、やはりさすが日本の中心と言いたくなるのは、料理のテクニックの方です。
調理の技が光るイタリアンやフレンチや中華、パンやお菓子などなど。こういうものは、日本中のどこよりも美味しいものが食べられるのが東京ではないでしょうか。
和食というのは素材、とくに魚を活かす料理ですから、魚が美味しくない東京は不利だと思います。技術はもちろんピカイチなのでしょうが、なんせ素材の状態がひどい。
おなじように技術が優れていれば、美味しい素材を仕入れられる店が勝ちます。ゆえに、「東京で技術を磨いた職人が魚の美味い土地で出す店」というのが、最強の和食の店になると思います。それがどこなのか、魚が一番美味しい土地とはどこなのかは、私にはわかりません。なぜなら、魚には種類があり、それぞれの種類が最高の状態で食べられる土地って絶対に違うので。
魚を食べるなら絶対に東京より福岡
改めて福岡って、全国的に有名なのは「もつ鍋」「とんこつラーメン」とかですが、魚介もすごく美味しいのですね。これまで完全に舐めきっておりました。
「私のふだん食べてるもんなんて大したことないだろ」って。そんなことなかった。福岡ってやっぱご飯美味しいんです。
まあでも魚が美味しいのって多分九州全体に言えることで、他県の方からは「いやいや福岡の魚とか笑」って声も当然あるでしょうけども。
東京の皆さん、もし福岡にお越しの際は刺身を食べてみてください。やっすい店でも、東京の高級店より美味しいですよ。安いしね。
以上でございます。
宇井都
満たされて生きるとは?
こんばんは。撮影の為、明日から大分へ出張の十専口人です。朝3時起きです(T . T)
今朝、会社へ向かう道中にあるものを見つけました。
「満たされて生きる」
そう書かれた紙が、教会の入口に貼ってありました。そして、少し考えました。「満たされて生きる」とはどういう事を言うんでしょうか?
満たされる時ってどんな時?
食事で例えると、お腹いっぱい食べた時?それとも美味しいものを食べた時?それとも大好きな人と一緒に食べた時?感じ方は人それぞれですよね。
ただ、果たして満たされっぱなしの人生ってあり得るのでしょうか?
お腹いっぱい食べ続けたら、太っていきますし、それでも続けると病気になるかもしれません。美味しいものばかりを食べ続けたら、必然とお金がかかりますし、それでも続けると金欠になるかもしれません。大好きな人とずっと付き合う事ができれば良いでしょうが、いつかは別れが訪れるものです。
そう、永遠に満たされる状態が続くわけではないのです。それでも人は、常に満たされたいと思って生きています。言い方を変えれば、常にどこか不足感を感じて生きているということです。
不足感と充足感
人の成長の為に必要だと思うのが、この不足感と充足感の繰り返しです。人は生きている以上、「○○が欲しい」「○○をやりたい」「自分には○○が足りない」などの不足感を感じます。それを得る為に努力して、何とか手に入れようとします。そして望んだものが手に入った時には、次に足りないものを感じています。
不足感は誰でも感じることができるものですが、充足感は皆が感じられるとは限りません。常に不足感を感じ続ける人も中にはいると思います。その人は、何で自分はこんなに不幸なのか?何をやっても上手くいかない、所詮人生こんなものだ、と半ば諦めてしまう人もいるでしょう。しかし、考え方を変えれば、誰しも充足感を感じることができるようになります。
ハードルを下げる
ここで私がポイントだと思うのが、それぞれのハードルの高さです。不足感を感じるハードルも、充足感を感じるハードルもできる限り低く低くして、繰り返すスパンを短くし、頻度を多くしていく事が重要です。
例えば、「月収100万円欲しい」と思って努力するのと、「まずは月収5万円上げよう」と思って努力するのとでは、見ている距離が異なり、それによってやるべき行動が変わります。
人によって合うやり方があると思うので一概に言えませんが、あまりにも遠くのものを見ていると、そこまでの道のりを頭で描く事ができません。月収100万円にする方法は検討がつかないかもしれませんが、月収5万円上げる方法なら色々と思いつきそうじゃないですか?そうやって、まずはある程度道のりを描けるゴールを目指すことが、達成の近道だと思います。そして、それをとにかく沢山繰り返していくことです。
また、ちょっとした事でも達成感を感じるように意識することが大事です。例えば、今日は昨日よりも○件多くアポが取れた、いつもよりアポまでの流れがスムーズになったなど、できた事、成長した事にフォーカスしていくと良いです。
そして、できた自分を褒めて、認めてあげることで、継続する為のモチベーションが生まれます。今月は売上ノルマ達成できなかったから駄目だ、と思うよりも、今月は新規顧客を増やすことができたから良し。来月は、その顧客から今月の不足分を補うぞ!と思えるかどうかです。
結局
常に「満たされて生きる」ことはできないだろう、というのが私の見解です。何か足りない、もっとこうしたいという欲求があるからこそ、人生は楽しいのではないかと思います。目指すものがなくなった人生に面白みはあるのでしょうか?
人は満たされたいと思って生きながらも、決して満たされることはない。そんな矛盾の葛藤の中で生きていく生き物なのだと思います。
by 十専口人
福岡の人間が東京の高級店でいただく和食に(悪い方の)衝撃を受けた話
とうとう一回、ブログ当番をサボってしまい大きな十字架を背負った気分の宇井都です。誰に怒られるわけじゃないけど、すいませんした…
さて、前回のブログでお伝えした通り、福岡人の私が、東京に「本当にうまいものは東京にある説」を自ら検証するため旅に出ていました。
4日間に渡り、お金のことはなるべく気にせずいろんなものを食べましたが、
今回は、その中でも一番期待していて、一番お金をかけた「和食の名店」のお話です…。
隠れ家的名店に圧倒される
立地はよくなく、看板は小さいけれども、上品な佇まい。
和食の店でありながら、フレンチレストランのようなお洒落でモダンな内装。
食べログでも絶賛の嵐、著名な東京の名店ランキングにも名を連ねたというその店の空気に、
私たち夫婦は完全に圧倒されていました。
「やばいね…」
「やばいね…」
とバカ丸出しのセリフを囁きあう私たち夫婦。
そう、そこはまさに大人のための隠れ家。
先客のサラリーマンたちのために腕をふるう職人然とした店主の横顔を、固唾を飲んで見守ります。
予約したコースは20000円。
二人合わせて4万円。4万円!
私たちのような庶民には、もちろん日常的に出せるような値段ではありません。ていうか、一食にここまでのお金をかけたのは初めてです。
バイトと思しきお姉さんに最初のドリンクを尋ねられて日本酒を注文し、最初の料理が運ばれてくるのを「すごいね(小声)」「楽しみやね(小声)」と囁き合いながらワクワク待ちました。
先付、八寸、お椀…感動に注ぐ感動
絶妙のタイミングで次々と目の前に並べられていくお料理は、見た目も美しく、味わいも品が良く、さすが名店、これぞ名店、という味わい。
「美味しいね」
「どうやったらこんな味になるんかな」
「お出汁が本当に上品な味わい」
「これすごいよ…」
相変わらず地声で話す度胸がでない私たちは、感想をヒソヒソ囁き合い、初めて出会う高級和食の味に興奮。
旬の野菜のあと引く美味さを堪能しながら、こだわりを感じる美しいおちょこにそっと日本酒をそそぎ、口に運びます。
和食には日本酒。この間違いのないハーモニー。
その時の私の頭には、
「それから私たちは、これまで味わったこともないような美食に舌鼓をうち、感動に胸打たれて店を後にしました…」
という未来がもう、鮮明に浮かんでいましたね。
そしてお造りへ
「お造りです」
ガラスの美しい器に盛られた3種類のお魚。
こんな高いお金を出して食べるお刺身は初めての私たち。
これはカツオです、イカです…丁寧な説明を聞きながらも、
私たちの目の前に並んでいるのは、私たちが福岡で食べてるようなカツオやイカではないことがわかっていました。
なぜならここは東京の名店。日本一の店が集まる東京の名店です。
私はカツオに、夫はイカに、それぞれわさびを乗せて箸でつまみ、しょっぱい東京風の醤油に少しだけ浸し、口の中に運びました。
そこには緊張がありました。本当に美味しいものを今から食べられるという、嬉しさの混ざった緊張。
味覚に全神経を集中させながら、ゆっくりと噛み締めた…
まずい
とんでもないことが起こりました。まずいのです。もうまずい。普通にまずい。何やったらちょっと臭い。え?え???私が食べたカツオがいかんかったの?何なの?
動転しながら夫の方に目線を送ると、イカを食べた夫も、同じ顔でこちらをみていました。
刺身まずいね
でした。普通にまずい。こりゃどうしたことか。何だこりゃ。まずい。
いやまずくないっていうか、普通?いやまずいな。まずいわこれ。こっちもまずい。あ、こっちもまずい。3種類ともまずいね。
そしていつの間にか終了
刺身で動揺した私たちはすっかり集中力を落とし、そのあとは驚くようなスピードで時間が過ぎて行きました。
焼物、そのお店の名物、飯物、甘味。
順に、「普通未満」「普通に美味しい」「普通に美味しい」「普通未満」。
てかさあ、和食のデザートってやたら手抜きなこと多くない?何なの?
日本酒をもう一杯頼んでスッスッと飲み終え、そそくさとお店を後にしました…。
私たちの4万円は謎とともに消えた…。
そのあと、ホテルに帰る間も、ホテルに着いてからも、
「今日食べたものはいったい何だったのか」
「東京の名店とはいったい何なのか」
大激論を繰り広げました…。が、その話はまた改めて。
私たちの「本格和食」初体験は、思いもよらない形で幕を閉じたのでした。
宇井都