二人で考えすぎるブログ

二人で、考えすぎずに書く練習をしています。

僕たちは運が良い。が、決して楽ではない

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こんばんは。可愛いものに目がない十専口人です(その2)写真は、私のハートを撃ち抜いた国東市ゆるキャラ「さ吉くん」の人形です☆

さて、前回の字井都のエントリを読んで、大変感化されてしまったので、私も思うことを書いてみようと思います(笑)

どうして旅に出なかったんだ - 二人で考えすぎるブログ

本気ってカッコイイ

先日、松本人志のドキュメンタルseason2を見ました。お笑いの番組なのに、見終わったら何故か泣いていました。それは、最後の最後まで残っていた2人の芸人が、本気の本気で戦っていたからだと思います。芸人であること、人を笑わせることに対して、貪欲にとことん追求し続ける2人がカッコ良すぎて、周りからどう思われようが自分の信じるものを貫く生き様に感動してしまいました。こういうのを見ると、カッコつけるって実は1番カッコ悪いんじゃないかなと思ってしまいます。その残った2人の芸人は、身体中汚れながら、地上波では決して出来ないようなネタを繰り広げ、観る人によっては変人扱いされるような事を何のためらいもなくやってのけました。彼らの貫いている信念が凄すぎて、カッコ良すぎです。

人は本気になると周りなんて見えなくなるものです。だから周りを気にしている内は本気では無いのかなーとも思ったり。もちろん、そういう生き方を否定しているわけではありません。正しい生き方なんて無いわけですから。ただ、私は(宇井都も)本気で生きる事を知ってしまったんです。一度知ってしまうと中毒のようなもので、辞められないんですよ。表面はキラッキラに飾りながら、実際の中身は磨き忘れ、黒くくすんだままの状態で生きていくのが嫌なんです。本当に欲しいものに気づいているのに、見て見ぬ振りしながら生き続けるのが一番辛いんです。まあ、というか、単純に本気で生きる方が楽しいって思ってるだけなんですけどね(笑)

僕たちは運が良い

ただ、昔から本気で生きることをしていたかというと、私はそうではありませんでした(宇井都は分かりませんが)。高校まで、夢は隠してきましたし、その夢もどこか漠然としていて、本気で叶えるつもりも無かったんじゃないかと思います。でも大学に入って、自然と夢を語り合う仲間を見て、私も周りを気にせず夢を語れるようになりました。夢は言葉にして、人に話していくとより具体的になっていくものです。中でも互いに競い合うライバルであり仲間でもある存在は大切です。私は幸運にもそういう友達が周りに沢山いました。でも宇井都が言うように、今も同じように競い合える大学の友人はほんの一握りです。

何故そうなったのか、少し考えてみると、やはり私たちは運が良かったからではないかなと思います。私が本気で生きられるようになったのは、大きな挫折を経験し、人生のどん底から救ってくれた人との出会いがあったからです。そのきっかけが無ければ、今も気づいていないだろうなと思います。そして、今も本気で夢を語り合える宇井都のような存在が周りにいることが、いかに幸せな事なのかも分かります。本当に運が良いなって思います。

でも決して楽じゃない

ただ、そのきっかけは、私が必死でもがき、本気でどん底から抜け出したいと思って行動したからこそ掴みとれたものだとも思っています。やっぱり、自分の人生を変えられるのは、自分だけなんです。周囲はそれをサポートしているに過ぎず、自分で動かなければ変化も成長も無いのです。「チャンスは自分で掴み取るもの」という使い古された言葉はあまり使いたくないですが、本当にその通りだと思います。本気で努力している人にだけチャンスはやってきます。
本気で生きるって決して楽じゃありません。よく周りから、自由に好きに生きれて良いね。私には家族があるから、実力がないから、時間が無いから、そんな生き方できないと言わんばかりの扱いを受けます。でも、それって私には凄く腹が立つことです。まるで何もせず運だけで生きている自己中ヤローみたいな扱い。いやいや、こうなるまでにどれだけ苦労して、我慢して、努力してきたのか。そんな楽で簡単なものじゃありません。運が良いように見えるのも、その為に見えない努力をいっぱいしてきたからです。努力している人にだけ、ほんの少しのチャンスが巡ってきて、そのチャンスをモノにする為に更に努力する人だけに運がやって来ます。これからも、数少ないチャンスを逃さない為に努力し続けますし、そこに決してゴールは無いと思っています。

本当にできない?

人それぞれ生き方はある。とは言いつつも、やはり昔は一緒になって本気で夢を語り合っていた仲間が、そうでなくなるのは寂しい(一方的な勝手な思いですけど)。
何度も言うように、その生き方を否定しているわけではありません。でも、本当にやりたい事があるのに、何かを理由に我慢しているとしたら、その理由をしっかり聴いてみたい。果たしてそれは、本当にできない理由になっているのだろうか?そして、もしその理由が無くなったとしたら、どうするのか?できない理由を全て無くしていった時、きっとそこにはやる理由しか残らないんじゃないのかなと。

宇井都をはじめ、私の周りには本音で語り合える仲間がいて、本気で生きている人達が沢山います。その人達と一緒にいると、素の自分になれます。それって何のストレスもない状態で、本当に最高の空間で最高の気分を味わえるんです。どんな生き方も可能だと確信できるし、本気で自由に生きることに何のためらいも生まれません。この感覚は一度味わったら辞められません。まだ味わった事ない人には、是非味わってもらいたいです。

 

by 十専口人