ピノだけが私の気持ちをわかってくれた
今週のお題「好きなアイス」
お題に乗ってみました。はてなブログの使い方未だによくわかってません宇井都です。
さて、私の好きなアイスについて。
私とアイス界
まず前提として話しておきたいのは、アイスという分野に対して、私の中に長い間複雑な思いがあったということ。
事の始まりは、20年前にさかのぼります。
幼い日の私。母曰く、あつい夏の日だったそうです。
お出かけ先で棒アイスを買い与えられ、大喜びで食べ始めた私。
微笑ましい風景。が、私の表情は、時間を追うごとにみるみる険しくなって行ったのです。
その理由は、日光の下、すごいスピードで溶けていくアイスにありました。指の間を丹念になぞっていくベタベタの液体。不快感を払拭すべく口で液体を追いかけるも、そうしている間にまた別の箇所が決壊を起こす。こちらを舐めると向こうが溶ける、向こうを舐めればこちらが。
そのどうにもならなさに、幼い私は凄まじく憤慨、文字通りマジギレしていたそうです。マジギレしながらアイスを舐める姿はかなり笑えたようで、私が成人するまで10回超、この話を聞かされました。
美味しい、確かに美味しい。しかし、アイスの野郎は私の都合を無視してドロドロ溶けていく。そればかりか、焦る私をせせら笑うかのように手を指を汚し、一日中拭い去れないベタベタした不快な感触を残していく。そんなアイスをまっすぐに愛するなど、私にはできなかった。
まさに愛憎相半ばの思い。
アイスと私との関係は、常にこのような複雑なものだったわけです。
私とアイスのリズム、合った試しがない
私は甘いものが嫌いというわけではない、むしろ好きなのですが、とにかく他人様にくらべて、愛し方がマイペースすぎるようです。
一度に大量に甘いものを食べると気持ちが悪くなってしまうため、少量ずつ味わいたいのです。
ケーキはいい。切り分けられるから。
チョコレートやビスケットはいい。余ったら箱を閉められるから。
飴はいい、キャラメルはいい。小さいからいっぺんに食べることができる。
だがアイス。アイスだけは、そんな私のリズムを、決して理解してくれませんでした。
アイスにはタイムリミットがあり、定量がある。それらが全て、消費者である私ではなく、アイス側の都合で決められているのです。
まったく人を食ったような奴です。食い物のくせに。
カップアイスなら私の気持ちをわかってくれる、そう思った時期もありました。
カップアイスなら、食べたい量を食べたいだけ食べて、残りは冷凍庫に入れてとっておける。途中で溶けてきちゃっても、私の手を汚したりしないはず。
しかしやはりカップアイスも、私の救世主にはなってはくれなかった。
冷凍庫にとって置いた残りのカップアイスは、再会したころには別人のような姿になり果てていたのです。仕方がありません。私のリズムでは、やはりアイスは一度溶けてしまう。私の手を汚すことはなくとも、溶けたあとのアイスは、溶ける前のアイスとは似て非なるもの。冷凍庫で再度固めても、初めのころの美味しさは決して取り戻せないのです。
それはいわばアイスのゾンビ。ちがう。私が愛したのはこんなアイスじゃない。
ってか何より。衛生的にどうなんだっていう。
カップアイスよお前もか。もう私はアイス界に見捨てられた人間として生きるしかないのか。
諦めかけたその時でした。
あのアイスに出会ったのは。
ピノが私とアイスを繋いでくれた
ピノ。あの一口サイズ。
美味しさはもちろんですが、
やっぱりピノのあのサイズ感が、私を救ってくれたのです。
甘いものがガンガン食べれない私でも一口でいけるあの大きさ。あの絶妙な量。
例え好きなぶんだけ食べて残してしまっても、ピノは冷凍庫のなかで、ずっと変わらずピノのままでいてくれる。
初めてピノに出合った時は、大げさでなくマジで感動しました。
「私のためのアイスがここにある!」と…。
ピノが人気のアイスとして知られるようになってからというもの、暑い夏、アイスの差し入れで泣くこともなくなったのです。(これまでは、いただいたアイスは死にそうになりながら溶ける前に食べ終わっていた)
「アイス食べない?何がいい?」という素敵な気遣いに、「あ、わたしアイス苦手で…」などと言って場を凍らせることもなくなった(アイスだけにみたいな)。
私にはこれからもうずっと、ピノがいる。
イチゴ味だの抹茶味だのチャラチャラした限定商品を出さないとこも好きだ。
ピノ。あの円柱形。チョコとバニラの絶妙バランス。
とか言いつつ、ファミリーパックに入ってるアーモンド味は結構好きだ。あれだけ入ってるあるヤツあったら買っちゃうと思う。
ピノラブ
以上です。
宇井都