二人で考えすぎるブログ

二人で、考えすぎずに書く練習をしています。

ボランティアに感じる違和感

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こんばんは。新商品に目がない十専口人です。本日も新発売の「おいしい水〜スパークリングカルピス味〜」を見つけて即購入してしまいました(笑)

さて今回は、今流行りの「ボランティア」についてです。正直、私はこの言葉が大嫌いです。というと誤解を生むかもしれないで先に言っておきますが、ボランティア活動自体や、それをやられている人に対しては何とも思っていません。日本で一般的にされているボランティアの捉え方が嫌いなのです。

そもそもボランティアとは?

ボランティア(volunteer)の語源は、ラテン語の「volo」(ウォロ)だそうです。これは、「自分から進んで〜する」「喜んで〜する」という意味。つまり「自発性」が言葉の本質です。

その意味で言うと「ボランティア募集」っておかしくないですか?募集されている時点で、自発性は無いように私なんかは思うのですが。もちろん、募集する側の意見も分かります。知らせなければ、集まる余地すらないでしょうから。でも、それならボランティアって言葉は使わないで欲しい。「支援者」や「お手伝い」で良いじゃないでしょうか?
自発性という本質を考えるなら、ボランティアって言葉を使うことにすら疑問を感じます。せいぜい、自発的に活動している人を見て、あの人はボランティア精神旺盛だね、というのならまだ分かります。ですが、今や自ら「ボランティアやっている」と言う人がいます。私はそれが違和感を感じて、非常に気持ち悪いです。

黙ってやればいい

世間でボランティアとされる活動は、やりたい人はやれば良いです。ただ、黙ってやることが条件。自ら進んでやっているはずですから、敢えてやっている事を周りに言う必要はないでしょう。

街でよく見かける募金活動もそうです。本当に支援したい気持ちがあるなら、そして人からの支援を待つ時間があるなら、自ら働いて稼いで、そのお金を募金すれば良いのでは?と思うのです。多分その人が一日で稼げる日当の方が遥かに大きな金額じゃないでしょうか。だから、私は街の募金活動には一切お金を入れず、コンビニの募金箱などに入れています。

やっている人から凄く矛盾を感じるのです。本気さが伝わってきません。自ら進んでやっている人が、他人にも勧める理由が分からないのです。そこには、私もこんだけ頑張ってるのに、あなたは何もしないの?という意識が隠れている気がしてなりません。まあ、そう感じる私がおかしいのかもしれませんが。

無償の本当の意味

ボランティアには「無償で」という枕言葉がついてきます。この無償というのが、色んな場面で人と人の関係をややこしくしているように思います。

無償とは報酬ゼロということですが、友人関係だからこそ悩ませるワードでもあります。言葉には出てきませんが「○○やってくれる?」と友達から言われると、その後ろには「無償で」という言葉がカッコになって存在しています。

私も動画制作を生業としていますので、結婚式の動画などよくお願いされます。しかし、これは本当に良くないです。もちろん、本当に嫌な時は私も断りますし、本当にやりたい時は無償でやると自分から言います。しかし、友人という関係だけでその一線を越えてしまう人が多すぎます。まあ私も気づかない内に誰かにやっているのかもしれませんし、その意思をしっかり相手に伝えない自分も悪いのですが。
無償とは、自ら出費してでもやりたい時に使われるもので、むしろお金もマイナスになることの方が多いです。つまり、無償でお願いするということは、相手の時間とお金を減らす行為なのです。その重さを、多くの人が気づいていないフリをしているように思います。

結局は

自分がやりたいかどうかだけの話で、他人や周囲をどうこうするのはおかしな話という事です。だから私は、ボランティア活動をしている人が偉いとも素晴らしいとも思いません。変な言い方ですが、当たり前と思っています。それを周りが、素晴らしいとか見習うべきとか言うからおかしな方向にいくのです。その人はやりたくて、進んでやっているのだから、ほっとけばいい。それを見てやりたいと思ったなら、黙って一緒に加われば良い。それを周囲に知らせるのは何の目的なのか?

うーん、やっぱりボランティアって言葉は嫌いだ。

 

※今回の記事で不快に感じた方がいらっしゃたら申し訳ありません。あくまで一個人の意見です。

 

by 十専口人