二人で考えすぎるブログ

二人で、考えすぎずに書く練習をしています。

人の生き方にケチをつけたくなったら、 自分の精神の健康を見直せ

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あなたには、どうしても文句を言いたくて仕方のない人がいるだろうか。
 
相手が自分に危害を与えているわけではないのに、それでも何か言わないと気が済まないような人。
 
まるでその人がいるだけで自分の存在を否定されているような気がする人。
 
そういう人がいるのなら、その人の何があなたをそんなにムズムズさせるのか、よく考えてみるべきだ。
 
相手が悪いということにしたい。悪口を言ってスッキリしたい。それはわかる。自分に向き合うのはみんな嫌いである。だかその苛立ちには、自分に向き合う上での重要なヒントが隠されている。
 
また逆に、あなたの周りに、あなたが何をした訳ではないのに、やたらにあなたを攻撃してくる人はいないだろうか。
 
あなたの身に覚えがないのならそれはきっと、あなたの生き方や存在自体の何かが、相手の心を刺激しているのである。
 

心を刺激された人の言動

 
人は自分でもどうにもできないような心のムズムズを感じた時、こういう話し方をする。
 
「そんな甘い考えじゃ上手くいかないよ」
「あなたはいいかもしれないけど、周りはどう思うかな」
「そういうやり方が通用するのは今だけだよ」
「親が泣くよ」「パートナーが可哀想」「子供が可哀想」
「そのうち見放されるよ」
「将来大変だよ」
 
パターンは全て同じである。幸せそうな状態の相手に、親切の皮を被りつつ水を差してやりたいのだ。
 
不安や罪悪感を感じて欲しいし、幸せを削ってやりたいと思っている。純粋な悪意である。
 
それでも親切の皮を被っているのは、相手が何も悪いことはしていないことがわかっているからだ。悪いことをしていない人を非難するような悪人にはなりたくない。でも、何か言ってやらないと自分の心のムズムズが収まらない。だからこういう言い方をする。
 

心を刺激されるのは何故か

 
人が理由もなく誰かに心を刺激され、文句をつけてやりたくなる時。それはハッキリ言ってしまうと、妬ましい時だ。
 
誰かに心を刺激されるのは、相手がうまくいっている、楽しそう、幸せそうだからだ。不幸そうな人に文句をつけたくなる人はいない。
 
誰かが幸せそうなのをみて心がムズムズする、そこにはどう言い訳をしようが、妬みの心がある。
 
自分がやりたくてもできないようなことをやって、それで成功している人を見ると、人の心はムズムズするように出来ているのだ。
 
上にも書いたとおり、妬みがある時、人は「そんなんじゃうまくいかないよ」と言う。
 
妬みがなければ、「こうすると上手くいくよ」とアドバイスをしたり、なんの含みもなしに、「うまくいくといいね」と言ったりする。
 

心のムズムズは感じる方の問題であり、感じさせる方が悪いのではない

 
あなたが誰かに無性に苛立ってしまう、ムズムズさせられてしまうのなら、自分に尋ねてみよう。「一体何がそんなに妬ましいのか?」と。
 
あなたは恐らく、何かを自分に禁じ、我慢している。
それは夢を追うことかもしれないし、今ある義務を捨ててしまうことかもしれない。本当はこうしたい、という熱い気持ちがそこには埋まっている。
それを掘り起こすのはあなたの問題である。そらは辛い作業であるから、多くの人が目を背けたがる。
 
が、目を背けてばかりいると、あなたの人生はどんどん虚しいものになる。周囲のすべてが妬ましくなり、チクチクと文句を言ってばかりの人になる。そんな人生を送りたいだろうか?
選択するのはあなただ。
 
逆の立場なら。あなたが、誰かに言われのない攻撃を受けているのなら、それを気にする必要はない。それは相手の問題である。
相手は自分の問題から目を背けるためにあなたに嫌がらせをしているだけである。
あなたが幸せそうに見えている証拠だから、喜ぶべきだと言ってもいいくらいだ。
 
相手の妬みに付き合って不安になったりするのは、思うツボである。無闇に不安がらせてくる人間は、あなたのピンチに手を差し伸べたりはしてくれない、ただの野次馬である。
 
理由なく人に文句を言いたくなったら、自分の心に向き合おう。
理由なく人に文句を言われても、気にしないこと。
 
以上でございます。ちなみに冒頭の写真はこないだの朝ごはんです。なんか意識高げなビジュアルになったんで乗っけてみました。
健康は宝。体も心も。
 
宇井都