私たちに与えられたのはこの体だけである
であるからして、
この体をいかに良い状態に保つか?
という視点はすごく大切だなーと、最近思っている。
人生の中に体があるのではなく、体の中に人生がある(正しくは、脳の中に)。
体と脳は密接に絡み合っているのだけども、
いわゆる現代的な生活においては、人間の脳の部分にばかり焦点が当たっており、あまりにバランスが悪い。まるで、人間とは脳みそであって、体とは単に脳みその入れ物である、というふうな扱われ方をしている。
(特に男性にはその傾向が強いと思う。女性の方が自分の身体について考える機会が多いからなのかもしれない。)
コンビニには脳を刺激するためだけの飲食物がたくさん売られている。ガムやカップ麺、ジュースや酒、お菓子、その他ジャンクフードなど。パンや弁当も、脳を刺激する部分をもっとも重視して作られている。
コンビニのお客さんは私たちの体でなく脳みそなのですね。
スマホも、ものすごく「脳みそ」的なアイテムだ。以前なら、情報の収集には本を探したり、探した本のページをめくったりといった身体的な要素がもう少し絡んでいたし、パソコンだって、スマホよりは身体的である。
タイピングは身体的で、フリック入力は脳みそ的だ。
だからって別にそれが悪いと言っているわけじゃない。
中高生に電子辞書を使わせず紙の辞書を使うよう強要するみたいな話馬鹿げていると思う(私が中高生の時にはそういうのあったんだけど、最近はどうなんだろう)。
便利なものは便利だから、自由に使ったほうがいい。役立てたほうがいい。
私自身スマホもパソコンも、とにかくコンピュータが大好きだし、その進化にはものすごく期待している。
しかし、だからこそ、自分自身の身体性をもっとしっかり意識しておかなければならないと思う。
五感を刺激して体の感覚をフルに使っていないと、脳みそも弱っていってしまう。
脳みそを健康に保つために必要なのは頭の体操ではなく、体の体操である。
重ねて言うが、脳みそはあくまで内臓、体の一部なのだ。脳みそが体を支配しているのではない。体が脳みそを支配している。
だからジャンクフードばかり食べていると脳みそは喜ぶが、体が疲弊していく。結果として、脳みそも弱っていく。
スマホから得た情報は、五感で得た情報ほど脳の栄養にはならない。栄養をとった気になっているけど、いつも脳は乾きを訴えているような感じがする。
他人にどうこう言うつもりはないけれど、
そういうことを最近考えている。
意識して体を動かす。
意識して情報をとりに行く。
意識して五感を刺激する。
意識して意識を殺す。など。
脳ばかりを働かせていると、体と一緒に共倒れになってしまう。
というわけで最近、バランスボールを椅子にして仕事するという、意識高い感じのことをやってみたりしている。それだけで結構、背骨や筋肉に意識がいく。
偏ってはダメだ。何事も。
宇井都