二人で考えすぎるブログ

二人で、考えすぎずに書く練習をしています。

運命について思うこと -バチェラー・ジャパンSeason2を観て

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こんばんは、十専口人です。

宇井都が前回ボロクソに言ってたバチェラーですが、僕は懲りずにシーズン2まで観てしまいました(笑)

何故観るに至ったのか?

それはシーズン1が、これまで僕になかった価値観を与えてくれたからだと思います。

シーズン1を観終わった後は、正直シーズン2を観るまでも無いと思っていました。でも数日過ぎて、急に観たくなる衝動に駆られ、気がついたら毎週配信を楽しみに待っている自分がいました。(宇井都が爆笑している様子が目に浮かぶ笑)

シーズン2で考えたこと

シーズン2は、シーズン1と比べものにならないくらい面白いものでした。これは全話観たから言えることです。途中何度も観るのをやめようと思いましたが、最後まで観て本当に良かったです。最後まで観るからこそ見えてくるものがありました。

この番組を通して、僕の価値観は大きく変化しました。

今回のシーズンでは「運命」というものを考えさせられました。

僕自身、運命はやってくるものではなく、自分で作るものだと思っています。それは今も変わらないのですが、その作り方に新しい発想をくれました。

前回も書きましたが、僕は本来この手の番組が大嫌いです。自分でも観るに至ったのが不思議なくらい。

きっと僕はこれまで見せ方ばかりに目がいってたのだと思います。ヒットさせる為の制作陣の目論みや、中身のない出演者たち、自分が信じているものとのギャップ、それをどこか目の敵にしていた気がします。

でも、物事からどんなメッセージを受け取るかって、その人の向き合い方次第だなと、改めて感じることができました。

世間ではどんだけ批判されるものであっても、それを見て感動し行動するきっかけを与えてくれたのであれば、それはその人にとってとても大切なものになります。

この手の番組はヤラセかどうかの議論がよくされます。でも僕にとってそれはどうでも良いことで、フィクションであれノンフィクションであれ、感動するものや気づきを与えてくれるものであれば、それで良いです。どれだけ入り込むことができるのか、つまり夢中になれるのかということが大事なのだと思います。

あの番組に応募する女性たちも、入り込むことができなければ最後まで残ることはできません。番組の性質だったり、カメラが回っていることだったり、出演している自分を観て世間が何を言ってくるか、など考えていたら絶対に最後まで続かないと思います。

色んな葛藤はあれど、自分を夢中にさせることが運命を切り拓く大事な要素だと思います。

僕の中の変化

僕は考えすぎるタイプで、常に客観的に自分を見て、こうでありたいという理想像を演じている節があります。ただ、熱くなると我を忘れて空気の読めない発言や行動をしてしまうことも度々あります。そんな時、後悔するというよりも、自分の素の部分を初めて知った気がして、どことなく嬉しくなります。

正直バチェラーのシーズン1を観てあんなに文章が書けるとも思っていませんでした(笑)

世間ではそれを真面目と呼ぶのでしょうが、飾ってばかりの僕にとって夢中になれるものというのは、それだけ大事なものです。

少し前の僕だったら、このような番組を観て語る自分が恥ずかしいと、文句を言う側に回っていたと思います。しかし、観終わった後には何か大きな殻が破れた気がしました。自分でも驚きなのは、結婚したいという気持ちが少し芽生えたことです。その為に行動を変えてみようとも思っています。この番組を観なければ、この考えは生まれませんでした。

運命を切り拓くには

固定概念を無くすことの大切さはよく言われることですが、果たしてどこまでやっているでしょうか?

経験してみないと分からない、と経験して判断する事は当然だと思いますが、その経験の仕方も非常に重要だと思っています。本人にとことん理解しようとする気持ちや、楽しもうとする努力があるかどうか、これがポイントのような気がします。これが今までの僕に欠けているものでした。常にどこか客観視する自分がいて、本気になる一歩手前でいつもブレーキを踏んでいました。特に、こと「恋愛」に関しては。

そんな自分を変える為には、

「きっかけを自分のものにする」

ということが大事だということに気づきました。

自分が苦手とするもの、やりたくない事でも、まずは挑戦してみようと思う気持ちって誰しも経験あると思います。しかし時には、その挑戦の機会が自分の予期せぬ事でやってきたりします。今回の僕の場合で言うと後輩の薦め。

この場合、自分がやろうとしてつくった「きっかけ」で無いだけに、本気になりにくいものです。

でも、そうやって偶然にできた「きっかけ」を、恥とかプライドとか捨てて我を忘れるくらい本気になれるかどうかというのは、自分の頑張り次第だなと思います。

心のリミッターを外していく感じ。

きっと、そうやってリミッターを外し「きっかけ」を自分のものにできた分だけ、運命はやってくるものだと思います。


何か後で見直すと恥ずかしい記録になりそうですが(笑)今の自分の偽りない気持ちを忘れないように書きました。

何故人は「バチェラー・ジャパン」に熱狂するのか

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こんにちは宇井都です。

十専口人が見ているという事実がもう面白すぎて(一個前の記事に感想あり)、

私もこういう恋愛リアリティ系の番組には1ミリも興味がないのですが、

思わず見始めちゃいましたよ。十専口人の記事とは全く違う切り口で、私が感じたことを好きに話そうと思います。

 

全世界で放映される大人気番組「バチェラー」がついに日本上陸、、ということで。

私は十専口人からの前情報もありましたし、まあ、あんな感じでこんな感じの番組なんだろうなあと思いながら再生ボタンを押しましたが、

うん、まあ完全に想像通りの番組でしたねえ。

 

まずはネタにマジレス

まずは素直に思うんですけど、この状況まじで妙ですよね。笑

なんだこのエロゲみたいなシチュエーションw

こんな状況で恋愛できるやついないだろ。

ていうか女性が25人揃って、事前に情報があるとはいえ、全員が初めて会った男性を好きになるなんて絶対に絶対に絶対に400パーありえない。

仕込みなしでリアルにこの状況作ったら25人中、少なめに見積もっても20人が

「やwww実際会ったらまじないんだけどwwwキモくない??ww」とか言って影で超盛り上がるやつだぞ。 

女のジャッジは異様に厳しいっていうか、みんな好みがピンポイントだからね。。。。

こんだけハイスペックな男性でもリアルな恋愛の場ではそんなもんです。人はスペックだけで人を好きになるほど単純ではありません。結婚相手を打算で決めることはあってもね。

ので、女性たちは本気で恋愛をしているのではなく、

「長く番組に出続けること、有名になること」を主目的に動いてると考えるのが自然でしょう。

それプラス、

「恋愛という場において魅力的で、選ばれし唯一の存在」という座を巡って、

女のプライドをかけた戦いを行っている、という感じですね。ま、そこにもしかしたら

「玉の輿に乗れたらラッキー」とかもあるのかな。

まあとにかく、彼女たちはバチェラーを本気で好きになっているわけではない。

「目立ちたいから番組に出たい。出たからには、ハイスペイケメンに選ばれる最強に魅力的な女として勝者になりたい」これです。まあ、番組の建前として、リアルな恋愛をしているフリはしててもね。

なので、実際的には

リアルな恋愛の戦いというより、太客を巡るキャバ嬢の争いに近いと思われる(キャバ界のことよく知らないので適当なこと言ってたらごめんなさい)。

 

バチェラー笑

てかもうバチェラーのイケメン然とした佇まい見てるだけで笑うわ。

進行役が「バチェラー!」っていい声で呼ぶたびにウケる。

バwwチェwwwラーwwwwってなっちゃうわ。笑

個人的には進行役の方がタイプだ(って言ってる人たくさんいそう)

 

なぜ「バチェラー」は人気を呼ぶのか

私が改めて考えたのはここんとこですね。

「バチェラー」がこれまでの恋愛リアリティショーと違うところは、

「女同士の戦いを主軸にしているところ」じゃないかな。

結局これまでの恋愛リアリティショーにおいても、視聴者が盛り上がっているのは、女性たちが一人の男性を狙って争っているシーンだった。だったら、もうそれだけで番組作っちゃえ、みたいな豪快さを感じるんだけど、どうでしょう。

私本当にこの手の番組見ないから、勘違いかもしれないですけど。

多分、視聴者のゴシップ欲をガンガンくすぐる仕組みなんですね。

「あの女まじ腹立つよねー!」

「まじなくない?」

「あの女地味だと思ってたのにいきなりで出しゃばってきたよねー!!」

「てかあいつブスじゃない??」

「あいつ絶対整形」

「まじぶりっ子ムカつくー!!」

みたいな話をしてる人たちの盛り上がりはまじで異常

っていうと、ああ、そんな女いるよねーとか安易に考える方もいるかと思いますが、

男も同じように盛り上がります。異性目線だから、「俺ならこいつとはムリ」「あいつを推すなんてお前B専だな」とか、そういう盛り上がり方もできちゃうの。

雑誌のミスコンのページ見て盛り上がってるあの感じ。

「争う女」「女の敵は女」みたいなのってゴシップの定番だよね。

でもまあ、そういうの好きな人がそういうのを見てて、出演する側もそれをわかってて出演する。作る側も、そういうの好きな人の為に作ってる。

だからもう、そこに興味のない私が文句を言う方がおかしいですね。

 

見るに耐えないことはないけど本当にどうだっていい

2話ほど見ましたがなんの感情も湧いてこず、

「わー、ゴージャスな設備」

「わー、可愛い子がいっぱい」

「わー、イケメン」

「バwwwチェwwwラーwww」

でした。女性たちもみんなハイスペック。みんな誇りにしてる仕事とか特技とかあって綺麗で素敵だと思ったよ。いやまじで。

 

ちょっとだけでも見たことによって、誰かに

「バチェラー見た!?」って言われたらちょっとだけ話題にのれるから、その点は良かったなあと思いました。

NOT FOR ME の一言。

以上でございます。

 

宇井都

バチェラー・ジャパン Season1を観終えて

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こんばんは、十専口人です。

先日、Amazonプライム・ビデオで配信中の「バチェラー・ジャパン」のシーズン1を観終わりました。この番組は、アメリカの人気番組「The Bachelor」の日本版です。

内容はというと、

『ある一人の幸運な独身男性バチェラー(久保裕丈氏)が、25人の女性たちと様々なデートを繰り返しながら、運命の相手となる最後の1人の女性を選び出していくという恋愛サバイバルが繰り広げられます。』(Amazonプライム・ビデオ引用)


という、何かと話題を呼びそうな番組です。(笑)

テラスハウス』や『あいのり』のように、半分ドラマ半分ドキュメンタリーといった形の番組をイメージされると良いかと思います(どちらも僕はちゃんと観たことないですがw)

そもそも、僕はこの手の番組が大嫌いです。食わず嫌いに近いですが、エンタメ重視で他人の恋愛を見世物にする感覚と、それを楽しんで観ている視聴者の感覚が全く受け入れられないからです。内容も薄っぺらく表面的なんだろうなと勝手に想像していました。(観たことないので本当のところは分かりませんが)

ただ、今回そんな番組スタイルの「バチェラー・ジャパン」を観て、その価値観が少し変わったように思います。これは僕にとっても良い変化だったと思いますし、僕のようにこの手の番組を毛嫌いしている人も観るきっかけになるかもしれませんので、そのことについて書いてみます。

何故観ようと思ったのか?

そもそも何故僕がこの番組を観ようと思ったかというと、きっかけは後輩が勧めてきたことでした。その後輩(22歳の女性)のおすすめポイントは、女性陣のドロドロした男の奪い合いを、こういうのあるある、こわーいと第三者的に観ることと、女性の本性を分かっていない男の馬鹿さ加減、そして好感を持てる女性の応援、という3つの要素でした。正直この話を聞いても観たいとは思いませんでしたが、特に観るものもなく、今日何を観ようかなと思った時に、おすすめ動画に出てきたのと、食わず嫌いを辞めたいという思いもあり、これも何かの縁と観てみることにしました。

観ていく中で

まず1話2話と観て感じたのは、番組制作サイドに対する怒りです。(まあ、ある程度は予知していましたがw)

とにかく金の使い方が尋常じゃありません。ヘリの空撮、高級リゾートホテルの貸切、リムジンでの参加者のお出迎えなどなど。とにかくゴージャスできらびやかな演出。そして、いかにも漫画やドラマで描かれるような、金持ち!イケメン!性格良し!のバチェラー。それに群がる、名声を手に入れたいテレビ映りたがりの調子にのった女性たち。

最も苛立たしかったのは番組の映像演出。ドキュメントと銘打っておきながら、会話ややりとりはそこまで映さず、ほとんどがイメージカット。男性と女性のインタビューを中心に番組が構成されている点でした。

正直どう楽しんで観れば良いのかが分からず、終始イライラしながら観ていました。

しかし、3話目を越えたあたりから、僕は番組の見方を変えてみることにしました。それは、「これが世論なんだ」と思ってみることです。

結局、僕がこれまでこの手の番組を食わず嫌いしていたのは、明らかに自分の思想と比較し否定することしかしていなかったからです。それはある意味、一度もその価値観を受け入れようとしてこなかったということです。でも、この番組のように、これだけの大金が使えるのも、これだけ話題になるのも、それを求めている人が沢山いるという事実があるからで、じゃあ僕が作った番組がそれだけの人達に求められているかというと、Noです。

ですから、否定するよりも先に受け入れてみようと思いました。世の中がどういうものを観たいと思っているのか、何が話題になるのか、それを知る良いチャンスだと思いました。それから番組の見方を変えました。

番組から見えてきたもの

この番組は、どういう気持ちで観るのかで評価が大きく別れる番組だと思います。僕が最初にやっていた穿った見方だと、最後まで観る人は少ないと思います。しかし見方を変えることで、色々なことに気づくことができました。

まず、バチェラー・ジャパンは、世の中の恋愛の縮図を表わしていると感じました。この番組を観る人の多くは、恐らく女性の方に目が行くと思います。この女性は性格悪いねとか、この女の子は良いねとか、この子に頑張って欲しいとか。番組的にも、男よりも女性同士の争いを中心に描いている節があり、女性の恐ろしい裏側を意識的に見せようとしている感は否めません。しかし僕は、それは男性の方にも言えることだと思いました。どの女性にも良いことしか言わず、常に優しく接し、インタビューでも良いことばかり語ります。でもそれって実は一番腹黒いんじゃないかと思ったり。そういう意味では、女性よりも男性の方がもっと恐ろしいんじゃないかと思いました。更に突き詰めると、それは番組に限らず実際の恋愛でも起こっていることなんじゃないかと。

恐らく現実でも、女性は裏で色々な陰口を言ってるし、男性は女性の前ではリードし優しくしようとしているでしょう。どちらも付き合うまではお互いの前で仮面を被っているのです。派手な演出で中々そこに目は行きにくいですが、この番組で起きていることは、現実に起こっていることで、そう考えると、この番組を批判することは、引いては現実を批判することにも繋がることなんだ、と思うようになりました。

あざとい女の子は他の女の子から嫌われるし、かといって友達思いの女の子も男を前にすると裏切られていきます。こんなぶりっ子の女の子は絶対性格悪いだろうと思いながらも、実際目の前でやられると、可愛いし騙されても良いっかとなる男がいます。

これが世の中の真理です。

番組で描かれる人間の本質

この番組でもっとも注目されるのは、女性を選ぶ基準だと思います。良くも悪くも評価されるのは、何故その女性を捨てて、この女性を選んだのか?ということ。それが色々な批判を呼ぶのだと思います。

最初に疑問に思ったのは、1話目で25人の女性を集め、ほんの数時間のパーティで20名を選ぶという点。つまり5名を捨てるということです。1人あたり10分程度しか話せない中で選ぶ、つまり、殆ど見た目の好みでしかないということです。僕は正直こんな事するぐらいなら、もっと人数減らせば良いじゃんと思ってしまいました。参加している女性達があまりにも可哀想です。

でも、よくよく考えると現実はそうかもしれません。世の中にいる大勢の女性と出会える時間は限られており、声をかけて、なんとなく気になって次の誘いをする時って、大抵第一印象が良いかどうかだけです。そういう意味では、現実を忠実に再現していると言えるかもしれません。

そして、話が進むに連れて女性の数もどんどん絞られていきます。その度に起こるのが、女性の比較です。番組の性質上、この子が良いというよりも、あの子と比べてこの子はどうか?という比較で選ばれていきます。

しかし、これも現実で起こっていることです。何度もお付き合いをしていく中で、色々な人を知ることができ、別れる原因も他の誰かと比較したが為にということが多いにあります。人は基本的に、何かと比較することで、その良さを知ることができるものです。

そういう人間の本質的な部分をゴージャスな演出で幻想的に見せているのが、この「バチェラー・ジャパン」なのだと思います。

最後まで観ると見えてくるもの

ここまで読んで観たいと思ってくださった方、是非最後まで見届けてください。僕は正直に言うと、9話を見終わったあたりで残った女性陣を見て、観続ける気持ちが薄れていました。でも本当は、それ以降がこの番組の一番の見所だと思います。それは11話の女性陣の家族に会いに行く回です。そこには番組に出演する娘への思いや、番組で恋人を探すバチェラーに対する気持ちなど、それまでの恋愛以上にリアルな世の中の声を描いていると思います。カメラが回っている中、正直に話せるその家族の方々は本当に素晴らしいなと思いました。

僕は、誰が結ばれるかなんて全く興味がありませんでした。ただ、番組には人間の純粋な部分と醜い部分、本音と建前という、まさに人間らしい部分を垣間見ることが出来て、観て良かったと思っています。飾らず素でいたいと言いながらも、相手を目の前にするとどこか飾ってしまう。でもそれは、相手に好きになってもらいたいという純粋な気持ちから来るもので、そういう矛盾を抱えながら人間は生きているのだと思います。


最後に僕が個人的に最も印象に残っているのは、11話目のバチェラーの言葉

「バチェラーを通じて、凄く自分の中で変わって来ているのは、仕事を大事にするとは言え、それが言い訳で恋人との向き合い方だったりがおざなりになってはいけないし、そこから逃げてはいけないんだ、というのが僕の中での大きな変化だと思います」

僕自身が仕事人間で、これまでの恋愛でも彼女を二の次にしてきた経緯もあり、凄く胸に刺さる言葉でした。本当に仕事を言い訳に逃げてきたなと。この言葉をキッカケに、これからの恋愛に対する向き合い方が少し変わりそうです。

最後に

この番組を通じて、やはりどんなものも、見る人の気持ちによって捉え方は変わるのだと思います。それならば、アラを探すやり方ではなく、何かを見つけようとする気持ちで見る方が、自分の中には無い価値観の発見に繋がるのだと学びました。番組が良い悪いではなく、そこから何を読み取ることができるのか、それが自分にとっての全てだと思います。もちろん楽しんで観ることが大前提ですが、そういう新しい発見を探す為に観るのも、番組の楽しみ方の一つだと思います。

「バチェラー・ジャパン」

何か新しいものを見つけると思って、是非皆さんもご覧ください。

1日たった5分!の運動が続けられない理由、習慣づけの本当のコツ

こんにちは。いつのまにか十専口人が更新してて超びっくりした宇井都です。

てかついこないだ前の記事書いた気がするのにもう1ヶ月も経ってんじゃん。時間経つの早すぎだろ

 

さて今回はけっこういい話になるんじゃないかなーと思うんだけど、

「習慣づけのコツ」。

 

私の趣味のひとつに運動があります。体のためというのはもちろん、単純に楽しくてやっています。で、運動を習慣化するのって一般的に難しいこととされてますが、なぜ私は習慣化できたのかっていう話です。

 

運動が楽しくなると、逆にジムいらない

こんな記事書くくらいジム大好きっ子だった私ですが、なんと最近解約してしました。

理由としては単純に仕事と子育てで忙しいので、ジムに行く時間を使ってなにか他のことがしたいと思ったのと、

もういっこ重要な理由が。

以前はジムを「強制的に自分を運動させる場所」として使っていた面があったのですが、完全にその必要があなくなったなくなったのです。

っていうのも、体を動かすのが楽しいから、ジムなんか行かなくても家で運動しているのです。

毎朝平均30分ほど運動し、シャワーを浴びてから1日をスタートさせています。

たまに疲れてたり筋肉痛がひどい時はアッサリ休みますが、完全に習慣化しているからやすむのも全然怖くないんですよね。

 

もともと運動嫌いだった私

そんな私ですが、もともとは、運動なんて大っ嫌いでした。

ずっと文化系の部活ばかりやってきたし、体育も嫌い。マラソンなんてもってのほか。

体のためにはやった方がいいんだろうなあ、ダイエットとか体型維持にいいんだろうなあなんてボンヤリ思って、「簡単エクササイズ」的なものをかじっては辞め、かじっては辞めする毎日。

言っときますが私はそんなに三日坊主体質ではありません。

やると決めれば結構真面目に取り組むのですが、どうしても、運動は「義務」でしかなく、「やりたくないけどがんばって取り組んで」いたから、我慢強さも長持ちせず、2ヶ月程度で辞めてしまっていました。

 

運動好きになったきっかけ

きっかけをくれたのは、とある筋トレブログでした。

「女性にもシッカリした筋トレが必要。ぬるい運動では体に変化は起きない。それをわかってない人が多すぎる」みたいなことが書かれており、フリーウェイトで行う正しい運動のやり方が一通りのっていました。

普通の人は、そんなハードならもういいや、と諦めるところかもしれません。

が、私は全く逆のことを感じました。

「そうなのか!体を変えるのはそんなに大変なのか。よし、やってやろう」と。

そうです私はドMなのです。いやドMっていうか、

「難しいよ」って言われると燃えるんですよね。知恵の輪とかマジであきらめない。人の3倍諦めない。縦列駐車とかもめっちゃしつこくやる(?)

私は、この「ほんとうに体にきくハードな運動」がやってみたい一心でジムを契約し、マシンには目もくれずバーベルやダンベルを使いまくりました。

ジムに行った翌日は、めちゃくちゃな筋肉痛に襲われます。

「ああ、私、すごい頑張ってる…」

その痛みがまた、めっちゃ心地いいのでした。やっぱドMかもしれん。

 

運動を続けるうち、「運動しないと気持ち悪い」状態に

筋トレや運動をずっとやっていると、筋肉痛が日常になります。常にどっかしら痛い。

きょうは背中が痛い。昨日やったデッドリフトが効いてる証拠だな。でも大胸筋は想像したより痛くなってない。やっぱり私はベンチプレスが苦手だな。次回は、ベンチの後マシンで駄目押しするようにしよう…なんてことを常日頃から考えるようになる。

で、そんな日々を過ごすうちに、「筋肉が落ちるのが怖い」→「筋肉痛がないと怖い」という、常人では理解できない領域に。が、ジムにハマっている人は確実に全員この領域に達していると思われます(筋肉痛の害について考えるレベルのガチ勢は除く)。

でも、ジムは毎日行けるわけではない。雨が降ったり、営業時間の問題もあるし。

そうなると家でやるしかない。家で運動できるちょっとした道具を買って(いずれも超安い)、ジムに行かない日は自宅で運動に励み始めます。ここまでくると、もう「運動しないと気持ち悪い」という状態に入っています。

あなたが毎日ご飯をたべるのは何故ですか?食べないとお腹がすく=不快だからですよね。

それと同じ。習慣化しているのは、がまんして続けるからではありません。それをしないと不快だからです。

 

習慣化するには、我慢するより「自分のモチベーションのクセ」を知れ

さて、長々書いて来ましたが、運動嫌いの私が「運動しないと気持ち悪い」状態になるまでの最も大きなきっかけ、最も重要なポイントは「『筋トレはハード、運動は大変』と知って、やる気が超わいた」という点です。ここがもっとも大切です。

逆に、なぜ私はこれまで運動を習慣化できなかったのかというと、「自分のモチベーションの上げ方、上がり方がわかっていなかった」からなのです。

「簡単なことから始めれば我慢できる、我慢できれば続けられる」と思っていた。

これでは習慣化しないのです。

人はどんなに自分を律しても、時間とともに楽な方向に流れる生き物。「我慢できる方法」を考えていたら、いつまでたっても習慣など作れません。「よし、やってやる!!」「やるしかねえ!!」と思わないとダメなのです。

私は、「「難しいからたぶん無理」と言われるとめっちゃ燃えるタイプ」という自分の特性を全く理解していなかった。ここが打開できた瞬間、自然に習慣化への道を駆け上ることができました。

 

モチベーションのクセ、いろいろ

私の夫も近頃では同じように運動をしており、私と同じく「運動しないときもちわるい」という状態になっています。が、私とはモチベーションの維持の仕方がまったく異なっていますし、始めたきっかけも全然違いました。彼は「腹筋をバキバキに割ってスーツがめちゃくちゃ似合うようになりたい」というのが最初のモチベーションで、続ける上でのコツは「あんまり頑張らないこと」「同じことをずっとやること」。

私は非常に飽きっぽく、常に新しいことをやるとか、チャレンジするとか、もっとできる、昨日より進化!とか、そういうのに燃えるタイプですが、、同じように運動してても、全く違うわけです。

このあたりは人によってマジで違います。

それを見極めないことには、運動にせよ勉強にせよ、続けるのは無理、なんだと思います。結局は。

 

そんな私がブログを習慣づけるには、、

ブログ書かねばなあ書きたいなあとか言いつつズルズルサボっている私。ま、要するにこれも、「やらないと気持ち悪い」みたいな状態に全然達してないんですね。

で、私の性格から考えるに、無理な課題を自分に課すことがモチベーションアップにつながるはず。

「1日5記事書く」とかね。5記事はどー考えてもしんどい!!!でも、現に今想像しただけでちょっと燃えた(やらんけど。)

 

ちなみに私が家でやってる運動

最近は海外美人ユーチューバーのフィットネス動画など見ながら運動するのが楽しいんですよ〜。

お気に入りは

「Susana Yaber」と「Chloe ting」のチャンネル。

www.youtube.com

Susanaは、しなやかで引き締まったモデル体型ってかんじで、声と笑顔が可愛い、いつもやたら派手な風景の中で運動してくれるので目にも楽しい。彼女の動画は真似るのが楽で一見簡単。なのにしっかり体には効く動きばかりで、ダイエットしたい人にオススメ。

www.youtube.com

Chloeは、筋肉しっかりめのストイックメリハリボディ(?)。内容はかなりハードなので、Mっ気強い人向け。10分とかの動画が多いけど、とにかくメッチャきついのが多い。筋トレ重視の人向け。

 

まとめ

習慣化しないのは、「がまんしてやっている」から。

超やる気をだして取り組むと、「やらなきゃ気持ち悪い」状態になり、いやでも習慣化する。

超やる気を出す方法は人によって違うので、おのおの考えましょう。

モチベーションを維持するコツ

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独立開業に向けて準備を進めてます十専口人です。かなり久しぶりの投稿です。今回からあまり考えすぎずに、思った事をつらつらと書いていこうと思います。読みにくかったらごめんなさい。


僕は今月末で現在の会社を退職し、フリーランスの映像ディレクターとして独立します。詳しくは、また改めて書きたいと思いますが、独立にあたってここ数日ずっと考え過ぎてモヤモヤしていることがありました。そのモヤモヤを晴らす糸口を、今日なんとなく掴めたので忘れないよう自分のメモとして綴りたいと思います。


僕は性格的に考え過ぎる傾向があります。何か始めようと思ったら、先を見越してあらゆるリスクを検討して、しっかり準備してからでないと動かないという癖があります。それを何とか変えたいと試行錯誤してきましたが、中々上手く行きませんでした。その原因の一つがモチベーションを維持できなかった事です。

僕は熱しやすく冷めやすいタイプで、何事もすぐに飽きてしまいます。例えば、早起きして出社前の1時間は勉強の時間にしようと決めても、続けれたのは1ヶ月程度。会社帰りにジムに行こうと決めても、続いたのは2ヶ月。仕事が忙しいし、今は寝る時間を確保する方が優先だと自分に言い聞かせて見て見ぬ振りをしていました。そして、いずれ時間ができたらまた通うかもと無駄に会費だけ毎月払うという、何とも勿体ないことをしていました。


そんな自分を一新するべく、モチベーションを維持し続けるにはどうしたら良いのかという事を真剣に考えていました。しかし、それがそもそも間違っていたのだと今日気づきました。考えるだけではダメです。行動すれば良いというわけでもありません。こうしなきゃダメだという義務感が一番問題だったと思います。

モチベーションは気持ちの問題です。いかに自分を気持ちよくさせ続けることができるのかが鍵です。自分がまるで王様であるかのように、自分のご機嫌をとる為の最高の流れを意図的に用意してあげることです。その際に重要なのが、この時間は自分をどうする為のものなのか理解し、使い分けることです。

僕の場合、時間の使い方には大きく分けると以下の7つがあることに気がつきました。


Input

Thinking

Meeting

Action

Create

Resting

Feeling


Input(インプット)

本を読んだり、講演やセミナーへ参加したり、テレビやネットで情報収集したりなど。自分の中に無いものを外から入手することです。


Thinking(考える)

今日は何をしないといけない、このプロジェクト実施には何が必要か、将来こんなことしたい、など。考える時間を意識的に作ることです。その際には、ロケーションと作業がかなり重要な要素になります。散歩しているとき、シャワーを浴びているとき、買い物しているとき、家で動画を見ているときなど。それぞれで発想できる内容が変わってきます。考える内容は同じでも、場所や作業を変えると思わぬ発見があったりします。


Meeting(ミーティング)

人と会い、話すことです。仕事上の打ち合わせ、先輩との会食、友人や恋人との飲み会など。こちらも自分に無いものを得られるということもありますが、議論できるというメリットが大きいです。自分の意見や考えを説明することで腑に落とすこと、理解を深めることができ、更にそれを第三者から見てもらい意見をもらえます。考えを整理し、行動に移す際の起爆剤になります。


Action(アクション)

ここでは単なる作業を意味します。買い物する、掃除する、スポーツする、テレビを見る、旅行に行くなど。生活するに欠かせないことや趣味などですが、実はこの作業をどのタイミングでやるのか意識することがモチベーション維持に一番大事だと言う事に気がつきました。作業は大抵無意識的に行うものですが、これを意図的に行うことが、モチベーション維持のコツです。頭を使う時間と作業する時間はバランスよくとることがポイントです。自分では大丈夫と思っていても、長時間考えることやっていたら脳は疲れます。それは作業効率や体調、気分など、心身にも影響します。頭を使った後は、考えないで良い作業を意図的にやるのがオススメです。


Create(創造する)

何かを作る、創造することです。これは、Thinking + Actionと考えると分かりやすいと思います。思いや考えを形にしていくことです。敢えてActionと分けたのは、考えながら、という事がポイントだからです。この工程以上に労力を割かれるものは無いと思います。心身ともに使っているわけですから、その疲労は自分が思っている以上だという事を理解しておく必要があります。


Resting(休息)

食事をする、コーヒーを飲む、タバコを吸う、昼寝する、お風呂に入る、マッサージを受けるなど。Actionの作業と違うのは、休息という意識で行なっているかどうかです。頭や体を休める為の時間をしっかりとることです。


Feeling(感じる)

これもニュアンスを理解するのは難しいかもしれませんが、第六感を育てる作業とでも言えば分かりやすいでしょうか。考えるとはまた違い、体感を研ぎ澄ましている時間です。映画を観る、小説を読む、恋をする、山に登る、美しい絵や写真を見るなど。考えずに感情をフル活用している時間です。

 


これら7つは作業内容によって分けているのではなく、意識していること、得られるものによって区別します。例えば、お風呂に入ることをResting(休息)と捉える時もあれば、Thinking(考える)と捉える時もあるわけです。

これら7つを使い分け、自分の性格やライフスタイルに合わせてサイクルを作っていきます。ポイントは、頭を使う作業のInput、Thinking、Meeting、Createと、頭を使わない作業のAction、Resting、Feelingを交互にバランスよく行うことだと思います。実は今日はそれがかなり上手く行った日でしたので、自分へのメモとして一日の流れを残しておきます。


8:00 起床→メールチェック(Thinking)

8:30 シャワー(Thinking)

9:00 ネットサーフィン(Action)

10:30 朝食(Resting)

11:30 カフェでコーヒー飲む(Thinking)

12:00 感動する動画を観る(Feeling)

12:30 打ち合わせ準備(Create)

13:00 打ち合わせ(Meeting)

16:30 読書(Input)

18:00 夕食(Resting)

19:00 買い物(Action)

20:00 ネットサーフィン(Action)

21:00 寝る(Resting)

23:30 掃除・洗濯(Action)

25:30 シャワー浴びる(Thinking)

26:00 ブログ書く(Create)

28:00 就寝(Resting)


考えすぎると、行動になかなか移りません。行動しないと結果は変わりません。結果が変わらないとモチベーションも上がりません。全ては繋がっています。考える→行動するという流れを、自分の性格やライフスタイルを理解した上で意図的に作って行く事が僕なりのモチベーションを維持するコツです。僕の場合は、やらなきゃと義務的に時間をつくるよりも、今はこんな心身状態だから○○しよう、と自分を客観視して、やることをコロコロ変えていく方が性に合っていると思います。

 

よし、明日も頑張るぞーヽ(・∀・)ノ

 

 

たかが、たかがで、たかがじゃねえか

放置していたブログだけど、

意外に今でも読んでくれてる方がいたみたいでビックリした。

十専口人と2人で1日おきに更新していたブログだったけど、

お互い忙しくて一旦休もう、、と言って早何ヶ月?

ま、とりあえず一人でも再開してみようかなあと、筆をとって、筆はとってないけどキーボードに手を添えて、ってこのくだりどうでもいいですね。

まあとにかく再開してみています。

文章かくのやっぱり好きなんだよな。

 

たかがデザイン

さて、今日書きたいのは、「たかが」ってことです。

たかが。

私は一応仕事としてデザイナー、ディレクターとかをやっています。

主に広告をやっています。

一応、っていつでも今でもつけてしまうのは、やっぱりなんか自信がないからで、良くないなと思うんですけどね。ま、一応。

でね、デザインとかこういう界隈で仕事をしていると、

色々なデザイン論とかね、広告論とかね、耳にするんですよね。

「私はこういうデザインをやりたい」

「デザインとはかくあるべし」

「デザインの力で価値をうんぬん」

ブランディングがうんぬん」

「この想いを届けるためにデザインの力でうんぬん」

みたいなことをね。

で、私は正直に申し上げて、こういう言葉を聞くと、しらーっとしてしまうのです。

心の中でやはりどこか、、

「たかがデザインじゃねえか」と思ってしまうところがある。

デザインにはたしかに力があります。

でも、デザインだけが力を持ってるわけじゃない。デザインは全く万能ではない。

たかがデザインだ。神じゃない。人じゃない。愛じゃない。

 

たかが飲み物

んで先日、とあるワインバーの3周年記念のパーティーに行ったのです。

そこはすごくこだわりのワインを出しているので有名なお店。

几帳面な雰囲気の店主が、独自に仕入れたワインを、控えめに語りながら勧めてくれるのです。

すごくしゃれた店。

グルメな人々が互いに目配せしながら、品良くワインを飲む。

みんな見た目から振る舞いまで何から何まで洒落ていて、

まったくもって隙がない。

ワインが好きだけど未だに何の知識もない私は、

勧められるままグラス1500円のワインを注文し、

その様子をぼーっと見ながら、なんか、

「たかが飲み物じゃねえか」と、やっぱり、おもったのでした。

 

知識のない奴の負け惜しみ

と言われてしまえば、まあ返す言葉はないのです。

一応デザイナーのくせに未だにフォントとか全然詳しくない。筑紫系が好きだなーっていうくらい。

でもね、たかが。やっぱりたかがなのよ。たかがデザイン。

ワイン好きのくせに未だにブドウの品種とか全然よく知らないしさ。好きなやつだけは覚えたけど。えーっとなんだっけ。ど忘れした(忘れてんじゃん)

やっぱりね、たかがなんですよ。たかが酒じゃん。たかが飲み物じゃん。

たかがデザイン、たかが酒、そこに必死になって取り組む人がいる。それはそれで素敵です。

でもそれは、デザインだから酒だからステキなわけじゃない。

テレビゲームにめちゃめちゃ必死になって取り組む人も、同じように素敵。

テレビゲームがたかがテレビゲームなら、なんだって、たかが、なんだよ。

 

じゃあ何がほんとうなのか

神と人と愛でしょう。そしてこれらは多分同じものなんじゃないかな。

なんつって意味不明だしキモい気がするので、

もう少しちゃんと書くと、

例えば友達と本当に心が通いあうような一瞬があって、

あ、この日が終わらなければいいなあーと思うような、

そんなものだけが、私にとっては、たかがじゃないもの。

あとは他にもいろいろ。

子供が私の顔を見てにこっと笑ってくれたり、

役に立たないものを、楽しく一生懸命作っている瞬間だったり。

すごく好きな映画に出会った時だったり。

そんなものを、デザインやらグルメやらで本当に生み出せるなんて、人為的に作り出せるなんて、傲慢じゃねえか、という気持ち。だから、やっぱり、

本当のもの以外は、全部全部、たかが。だと思っていたい。

 

たかが、たかがでたかがじゃねえか

タイトルにした文章の元になっている、三上寛氏の歌の詩のくだりで締めくくりたいと思います。

 

「哲学だの芸術だなんて 恐ろしいもんだぜ

 表現だの想像だのヌケヌケ言ってやがる

たかが言葉のオリンピックじゃねえか

たかがたかがでたかがじゃねえか…」

 

 

ジョン・ライドン氏を敬愛しています

http://www.johnlydon.com/wp-content/uploads/2016/07/bio-jl-510x721.jpg

世の中に対して怒りを覚えるのなら、それを正しく表現しろ。

そうでないのなら、怒っているふりをして自分をよりよく見せようなんてやめろ。

そんなことをしてもひたすら虚しくなるだけだ。

自分を偽って見せても、そんなものは遅かれ早かれ明らかになる。

なぜ嘘をつくんだ。なにに関しても。人生はあまりに短いんだ。

人生について俺が言えることは…

天国はこの世にある。他のどこでもない。

それを自分でぶち壊すようなことはやめろ。

どうも宇井都です。

ジョン・ライドン、別名ジョニー・ロットンは私のアイドル、私の人生の師ともいうべき存在です。

サブカルをこじらせて洋楽ばかり聞いていた中学・高校時代、セックスピストルズの偉大さはあまりわかっちゃいなかったけれども、バンドのボーカリストであるジョニー・ロットンのインタビューを読んで、衝撃を受けた瞬間のことはよく覚えています。

一言で言うとものすごく賢く、また優しい人であるなと。

上記の言葉は、セックスピストルズの伝記映画「no future」の日本版DVD向けのインタビューからの抜粋。

この言葉に私は、あまり意味もわからぬまま10年以上の間励まされて生きてきました。そして今日見返してみて、ようやくその意味の一部がわかりかけてきたと感じています。

(あと、どうでもいいけど自分の英語の聞き取り能力がかなり上がっていてそれにも感動した)

 

なぜこんなにも長い間、嘘をついて生きてきたのでしょうか。

私は10代の頃に、この言葉に出会っていたのに。

まさにこの言葉通り、天国を自分で破壊し続けてきました。

ずっと私の視界は濁っていたと思います。

 

私が本当に分かったかどうか、変わったかどうか、それはもうどうでも良くて、ただ、この言葉が真実だということが、今ものすごくストレートに腑に落ちています。

 

とりあえず、新しく出た自伝買おうと思う。

電子辞書片手に読む。

 

宇井都