幸せを逃してしまう10の言動
こんばんは。人の記憶力のパワーに驚いている十専口人です。実は、この前ある曲を耳にしたのですが、瞬間ついつい口ずさんでしまいました。曲名もアーティストも全く記憶になかったのですが。
曲名を調べてみると・・・
自分でもびっくりしました(笑)
妹が大好きなアニメだったので、自然とエンディング曲を覚えていたのだと思います。もう20年くらい前の話ですが・・・。いや~記憶力って恐ろしい。
さて、今回は「幸せを逃す言動」について書いてみます。「幸せ」ってそれぞれの基準があり、本人が「幸せ」と感じればそれは「幸せ」なので、定義がとても難しいです。
ここで書く幸せとは「運」みたいなものと考えてください。運は、偶然や奇跡の産物と思われがちですが、実際は作ることができるものです。引き寄せるように仕向ける、といった方が近いでしょうか。私が言う「運」とは、「人」「ご縁」のことです。
皆さんが、運良いなと思う瞬間ってどういう時でしょうか?大抵、人との出会いが絡んでいませんか?
運が良い人とは「人(ご縁)を呼び込む力がある人」
呼び込んだ人が「プラス」の力を持っている人であれば「幸運」、「マイナス」の力を持っている人であれば「不運」となります。「幸せを逃す言動」とは、マイナスの人を引き寄せる行為ということです。
私は基本的に「この人マイナスの力持っているなー」と思う人には極力近づかないようにしています。というのも、人は、一緒にいる人に必ず影響を受ける生き物だからです。自分がどんなに注意していても、一緒にいる人がマイナス思考だと、知らないうちに自分もマイナス思考になっていきます。だから、真剣に付き合う人は選ばなければいけません。
幸せを逃す10の言動
①愚痴を言う
愚痴とは「言っても仕方ないことを嘆く」こと。つまり、言いたいだけ言って解決する気が全く無い人のことです。しかし、全く言わないのも体に毒ですので、多少は言った方が良いと思います。ただ、言う人は選ぶべきです。吐き出す為に言うのは良いですが、何の解決にもならない事を理解しておくべきであり、それを分かっている人に言うべきです。
②過去の話をする
「昔はこうだった」「あの時こうしていれば・・・」と口癖のように言う人。「で、今どうなの?」って言い返したくなります。過去の栄光や失敗の話をいくらほじくり返しても何の解決にもなりません。そういう人と一緒にいても、いつまでも成功しないように思います。
③言い訳をする
「○○だったので」「時間が無かったので」と出来なかった理由を言う人。全て言い訳にしか聞こえません。その後に具体的な解決策を提案するなら良いと思います。ただ自分を正当化する為だけに言う人が多すぎます。結局自分しか守るつもり無いんだなと思ってしまい、いずれ自分もそうやって言い訳の対象にされるんだろうなと感じてしまいます。
④できない話をする
会議などで出来ない話ばかりする人いませんか?アイディアを述べたいだけの人、自分の発想力を自慢したい人。ブレーンストーミング等ではそれも大切ですが、要はそこで終わらないことが肝心です。アイディアを出すこと以上に、どうやったら実現できるか?と考える時間を割く人は、必然と成功する人だと思います。
⑤アラを探す
マイナスしか見てない人のことです。物に対しても人に対しても欠点を見つけることに一生懸命で、それを周囲に知らせることで自分の存在価値を見出しているような人たち。欠点を指摘するなら、それなりの責任と覚悟が必要です。「ならどうすれば良いのか?」改善策の提案と、それを実施する覚悟を持つ必要があります。
⑥期限(時間)を守らない
私が「この人信頼できないな」と思う一番の要因かもしれません。口ではマイナスな事を言っても、期限を守る人の方が信頼できます。その人にどんな理由があったのかは分かりませんが、それで遅れるということは、そっちの方が自分より大切なんだと思ってしまいます。「期限を守る」とは、相手に対する思いを行動で示すことです。もちろん、物理的に不可能な場合もありますが。
⑦連絡(報告)が遅い
これも行動で示しているかどうか、という話です。相手の都合も考えている人は、こうならないと思います。「ここまでに○○します」と最初に期限を約束したり、「現在○○しています」と中間報告することを忘れません。連絡が遅いという事は、自分の都合しか頭にない人です。
⑧自分が基準
自分の知らないもの、興味ないもの、経験ないことに対して常に否定的な人のことです。アーティストならそれでも良いのかもしれません。自分の世界観を突き詰めていくことが、その人の魅力に直結しますから。それに突き抜けたアーティストは、自分独りで生きていく覚悟を持っているように思います。ただそれでも、相手を思いやり、優先できる人は自然と人が集まってくる人だと思います。
⑨プライドが高い
ここで言うプライドが高い人とは「自分が勝ったか負けたかで判断する人」や「自分の非をなかなか認めない人」の事です。周りから認められたいけど、自分は変えたくない。その気持ちが強ければ強いほど、じゃあ勝手にすれば、と思ってしまいます。自分を変えることを厭わない人は、素直で、前進することにフォーカスしています。
⑩逃げる
嫌なことを後回しにしたり、避けようとする人のことです。不安な気持ち、怖い気持ちは誰にでもあります。しかし、そこから逃げているといつまでも成長できません。失敗するかもしれませんが、挑戦しなければ成功は決して訪れないのです。
幸せをつかむ為には
自分が「プラスの力を持つ人」になるということです。そうすれば、自然とプラスの人を引き寄せるようになります。その為には、プラスの力を持つ人と一緒にいることです。矛盾しているように思うかもしれませんが、一人でプラスになろうとするのはかなり困難です。最初は、プラスの人の傍にいることで、プラスの考え方、発言、行動を習慣化していくことです。
どんな人と一緒にいたいと思うか?
自分がそういう人になれば、自ずとそういう人が寄ってきます。重要なのは、それを「行動」と「結果」で示していくことです。
by 十専口人
徒然なるままに
こんばんは。ここずっと睡眠時間2〜3時間で寝不足気味の十専口人です。いやーここ数日、怒涛のように仕事が舞い込んで来てます。大変嬉しいのですが、コピーロボットが3台は欲しいとこです(ToT)
というわけで今回は、仕事で感じた事を徒然なるままに、何の脈絡もなく並べてみました。(すいません、思考の放棄ですm(._.)m)
素直な人は成長が早い
昔、私が尊敬する経営者の方から教えていただきました。どんな人にも価値観、考え方、プライドがあります。それを捨てるということではなく、吸収率を上げるということです。
自分が「ん?」と疑問に思うようなことでも、一度真似をしてみる。すると意外な側面が見えたりします。それを吸収することで、幅が広がったりします。この素直さが成長スピードに繋がります。
素直な人は、一年後に会うと見違える程変わっています。教える側からしても、素直な人には進んで教えたくなります。だから相乗効果的に成長できます。
ただ、重要なのは、成功している人、あるいは尊敬している人から学ぶということです。誰の真似をするのかで成長の方向が変わります。先輩だから、上司だからという概念に囚われていると成長の機会を失ってしまいます。
本当に学ぶべき人は、自ら見つけ教えを乞いに行かなければ、いつまでも変わることはできません。受け身のスタンスではなく、勝ち取るスタンスが大事です。
目標を持つこと
仕事でも人生でも目標を持つことは大切です。それがその人の指針になり、生き方になるからです。しかし、あまりにも想像を超えるような目標は、かえって逆効果になる場合があります。それは、何をやっても進展が見えず挫折感を味わう恐れがあるからです。
大きな目標に向かうコツは、いくつもの小さな目標を作ることです。そして少しでもクリアできたのなら、自分を褒めてあげること。自分で自分を認めてあげないと、自尊心が失われていきます。そして自尊心を失った人は、他人から認められようと他人に左右される人生を送ってしまいがちです。
少しずつで良いので、小さな成功体験を積み重ねていくこと。それが数年後には、必ず大きな差となって表れます。継続に勝るものは無いとつくづく思います。
仕事の質は相手を思う気持ちに比例する
自分の技術や経験の為だけに仕事をしている人は、その仕事の先にある相手のことを考えられません。逆に相手のことを思う気持ちが強い人は、自分の都合以上に相手の都合を優先させます。この意識の違いで、仕事の質が大きく変わります。
まず、単純に気づくポイントが変わってきます。自分の事に一生懸命の人は、技術や見栄えに目が行きがちです。そして、完成させたら終わりという気持ちが強いです。相手の事を大事にする人は、相手の背景、状況、気持ちに目が行きます。そして、自分が関わることで、相手がどう変わったかということに重きを置いています。
この意識の差は、表立って見えない部分ですが、実は仕事を終えた後は、相手の中に見えるかたちでしっかりと残ってしまいます。それが次の仕事にも影響します。やはり大切なのは、相手と真摯に向き合い仕事をすることです。
「芯」の大切さ
どんなに見栄えのするものでも、芯の無いものに人を動かす力はありません。今の世の中は、技術革新が進みすぎてそこがおざなりになっている気がします。それは製品やサービスに限ったことではありません。人として「芯」があるかどうか。
「芯」がある人には、自ずと人がついてくるように思います。それは筋が通っていて信頼できるから。仕事の良し悪しはそこで決まってくるような気がします。
「他人のふんどしで相撲をとる」ということわざがあります。いわば自分で戦えるふんどしが無いということです。失敗や方向転換というのは誰にでもあることですが、自分の生き方の「芯」は常に持っていたいものです。
目的は何?
AIとIoTの発達で、人間の仕事自体が変化しています。一人一人が個々としての働き方を真剣に考えなければいけない時代になりました。今後も働き方の自由化は止まらないでしょう。
ただ思うのは、働き方に捉われすぎてはいけないということです。昔に比べて、「フリーになりたい」「起業したい」という人とよく出会うようになりました。しかし、それが目的になってしまっている人も多いです。
フリーや起業はあくまでも手段の一つで、その先にある目的が大切です。
「何の為に何をしたいのか。」
その為に働くのなら、フリーランスでも、会社員でも、起業家でも何でも構わないと思います。自身と真剣に向き合うことを忘れてはいけません。
以上。
by十専口人
「福岡の食べ物は東京より美味い」は本当か 検証の旅に出ています
宇井都です。
先週は台湾で食い倒れ旅行、
日本に帰ったと思ったら水腎症でぶっ倒れ、回復するかしないかのうちに現在東京にいます。
腎臓はだいぶ良くなり、普通に歩き回れるほどになりました。健康は宝。
さて、今回の旅行にはかなり明確な目的があります。
タイトルの通りなのですが。
東京帰りの福岡人、東京の食をdisりがち
私は福岡の人間なのですが、同じく福岡育ちの私の友人の多くは東京で就職しました。
で、そんな友人たちが福岡に帰省すると必ず言うこと。
「東京はどこ行ってもメシまずいんだよ。福岡で美味しいものたべて帰りたい」
「東京はとにかく魚がマズイ」
「東京で美味いもの食べれない」
「東京ではチェーン店が美味く感じる」
とにかく東京の食をdisるわけです。
こういうことばっか言うからね、
福岡の人間は福岡が最高だと思い込んでるクソ田舎者だって陰口叩かれちゃうんですよね。
私は福岡にしか住んだことない生粋の福岡人のくせして、大して福岡に愛がないので、
これまで基本的にこういう意見には懐疑的でした。
「ちゃんとお金出せば、東京の方が美味しいものあるでしょ」
だってそうでしょ、東京だよ?中心地だよ?美味しいものが福岡にあって東京にないなんてあり得ない。
そりゃあ、流通の関係で多少は値段がはるかもしれない。
でも、東京の飯はまずいなんて、所詮貧乏人の悲しいグチなんじゃーないの?絶対そうに決まってるよ。田舎貧乏人乙(言い過ぎ)
というのが私のこれまでのスタンス。ね、けっこう冷静でしょ(逆に東京に期待し過ぎという話も)
そもそも私は旦那が飲食関係なのもあって、一般の感覚からいうと、いろいろなものを食べている方だという自負もあって。
東京の飯マズイとか言ってる君ら、そもそも福岡でもそんなに美味しいもの食べてないじゃないかと。
君らの舌なんか私は信用しとらんぞと。そのように思いつづけてきました。
しかし、問題がひとつ。
そんなこと言ってる私こそ、東京の食を全然知らないのです。
東京の「本当に美味しいもの」を求めて旅に出た
じゃあ実際に体験してみようじゃないか、というわけで今回の旅になったわけです。
参考にしたのは
「東京最高のレストラン2017」という本と、
東京グルメに詳しい方のグルメブログ。
そして、飲食店勤務の旦那がお客様や同業者から得た口コミ。
明らかに私より舌が肥えているであろう人々のアドバイスを元に、本当に美味しいものを食べようと。
食べるのは以下のメニュー。
・和食
・焼き鳥
・ハンバーガー
・蕎麦
・イタリアン
一応事前に、それぞれのジャンルについて、福岡で「私と旦那がいま一番美味しいと思う店」を一通り回ってきました。
ちなみに、私も旦那も、福岡ではそんなに高いものは食べたことがありません。
一人一食の予算はせいぜい3000円〜6000円まで。
今回の東京グルメツアーはお金の制限をなるべく設けないことにしているので、
一人一食の予算4500円〜20000円くらいまで。
これでちゃんと美味しいものが食べられれば、
「ちゃんとお金出せば、東京には美味しいものがあるんだよ」と堂々と言えるでしょうし、
これでどこに行っても大して美味しくなければ、
「たしかに福岡の方が美味しいお店多いねえ」と言ってよさそうですよね。
ちなみに現時点では
現在、予定の7割ほどの店に行き終わりましたが…
難しい結論にたどり着きそうです。
今日なんて、夕食を済ませた後、旦那と「東京の食」について大激論になりました。
興味深いことが書けそうなのは間違いないので、
次回ブログで必ず書きます〜
今日はそんな感じで、以上です。
宇井都
ボランティアに感じる違和感
こんばんは。新商品に目がない十専口人です。本日も新発売の「おいしい水〜スパークリングカルピス味〜」を見つけて即購入してしまいました(笑)
さて今回は、今流行りの「ボランティア」についてです。正直、私はこの言葉が大嫌いです。というと誤解を生むかもしれないで先に言っておきますが、ボランティア活動自体や、それをやられている人に対しては何とも思っていません。日本で一般的にされているボランティアの捉え方が嫌いなのです。
そもそもボランティアとは?
ボランティア(volunteer)の語源は、ラテン語の「volo」(ウォロ)だそうです。これは、「自分から進んで〜する」「喜んで〜する」という意味。つまり「自発性」が言葉の本質です。
その意味で言うと「ボランティア募集」っておかしくないですか?募集されている時点で、自発性は無いように私なんかは思うのですが。もちろん、募集する側の意見も分かります。知らせなければ、集まる余地すらないでしょうから。でも、それならボランティアって言葉は使わないで欲しい。「支援者」や「お手伝い」で良いじゃないでしょうか?
自発性という本質を考えるなら、ボランティアって言葉を使うことにすら疑問を感じます。せいぜい、自発的に活動している人を見て、あの人はボランティア精神旺盛だね、というのならまだ分かります。ですが、今や自ら「ボランティアやっている」と言う人がいます。私はそれが違和感を感じて、非常に気持ち悪いです。
黙ってやればいい
世間でボランティアとされる活動は、やりたい人はやれば良いです。ただ、黙ってやることが条件。自ら進んでやっているはずですから、敢えてやっている事を周りに言う必要はないでしょう。
街でよく見かける募金活動もそうです。本当に支援したい気持ちがあるなら、そして人からの支援を待つ時間があるなら、自ら働いて稼いで、そのお金を募金すれば良いのでは?と思うのです。多分その人が一日で稼げる日当の方が遥かに大きな金額じゃないでしょうか。だから、私は街の募金活動には一切お金を入れず、コンビニの募金箱などに入れています。
やっている人から凄く矛盾を感じるのです。本気さが伝わってきません。自ら進んでやっている人が、他人にも勧める理由が分からないのです。そこには、私もこんだけ頑張ってるのに、あなたは何もしないの?という意識が隠れている気がしてなりません。まあ、そう感じる私がおかしいのかもしれませんが。
無償の本当の意味
ボランティアには「無償で」という枕言葉がついてきます。この無償というのが、色んな場面で人と人の関係をややこしくしているように思います。
無償とは報酬ゼロということですが、友人関係だからこそ悩ませるワードでもあります。言葉には出てきませんが「○○やってくれる?」と友達から言われると、その後ろには「無償で」という言葉がカッコになって存在しています。
私も動画制作を生業としていますので、結婚式の動画などよくお願いされます。しかし、これは本当に良くないです。もちろん、本当に嫌な時は私も断りますし、本当にやりたい時は無償でやると自分から言います。しかし、友人という関係だけでその一線を越えてしまう人が多すぎます。まあ私も気づかない内に誰かにやっているのかもしれませんし、その意思をしっかり相手に伝えない自分も悪いのですが。
無償とは、自ら出費してでもやりたい時に使われるもので、むしろお金もマイナスになることの方が多いです。つまり、無償でお願いするということは、相手の時間とお金を減らす行為なのです。その重さを、多くの人が気づいていないフリをしているように思います。
結局は
自分がやりたいかどうかだけの話で、他人や周囲をどうこうするのはおかしな話という事です。だから私は、ボランティア活動をしている人が偉いとも素晴らしいとも思いません。変な言い方ですが、当たり前と思っています。それを周りが、素晴らしいとか見習うべきとか言うからおかしな方向にいくのです。その人はやりたくて、進んでやっているのだから、ほっとけばいい。それを見てやりたいと思ったなら、黙って一緒に加われば良い。それを周囲に知らせるのは何の目的なのか?
うーん、やっぱりボランティアって言葉は嫌いだ。
※今回の記事で不快に感じた方がいらっしゃたら申し訳ありません。あくまで一個人の意見です。
by 十専口人
ピノだけが私の気持ちをわかってくれた
今週のお題「好きなアイス」
お題に乗ってみました。はてなブログの使い方未だによくわかってません宇井都です。
さて、私の好きなアイスについて。
私とアイス界
まず前提として話しておきたいのは、アイスという分野に対して、私の中に長い間複雑な思いがあったということ。
事の始まりは、20年前にさかのぼります。
幼い日の私。母曰く、あつい夏の日だったそうです。
お出かけ先で棒アイスを買い与えられ、大喜びで食べ始めた私。
微笑ましい風景。が、私の表情は、時間を追うごとにみるみる険しくなって行ったのです。
その理由は、日光の下、すごいスピードで溶けていくアイスにありました。指の間を丹念になぞっていくベタベタの液体。不快感を払拭すべく口で液体を追いかけるも、そうしている間にまた別の箇所が決壊を起こす。こちらを舐めると向こうが溶ける、向こうを舐めればこちらが。
そのどうにもならなさに、幼い私は凄まじく憤慨、文字通りマジギレしていたそうです。マジギレしながらアイスを舐める姿はかなり笑えたようで、私が成人するまで10回超、この話を聞かされました。
美味しい、確かに美味しい。しかし、アイスの野郎は私の都合を無視してドロドロ溶けていく。そればかりか、焦る私をせせら笑うかのように手を指を汚し、一日中拭い去れないベタベタした不快な感触を残していく。そんなアイスをまっすぐに愛するなど、私にはできなかった。
まさに愛憎相半ばの思い。
アイスと私との関係は、常にこのような複雑なものだったわけです。
私とアイスのリズム、合った試しがない
私は甘いものが嫌いというわけではない、むしろ好きなのですが、とにかく他人様にくらべて、愛し方がマイペースすぎるようです。
一度に大量に甘いものを食べると気持ちが悪くなってしまうため、少量ずつ味わいたいのです。
ケーキはいい。切り分けられるから。
チョコレートやビスケットはいい。余ったら箱を閉められるから。
飴はいい、キャラメルはいい。小さいからいっぺんに食べることができる。
だがアイス。アイスだけは、そんな私のリズムを、決して理解してくれませんでした。
アイスにはタイムリミットがあり、定量がある。それらが全て、消費者である私ではなく、アイス側の都合で決められているのです。
まったく人を食ったような奴です。食い物のくせに。
カップアイスなら私の気持ちをわかってくれる、そう思った時期もありました。
カップアイスなら、食べたい量を食べたいだけ食べて、残りは冷凍庫に入れてとっておける。途中で溶けてきちゃっても、私の手を汚したりしないはず。
しかしやはりカップアイスも、私の救世主にはなってはくれなかった。
冷凍庫にとって置いた残りのカップアイスは、再会したころには別人のような姿になり果てていたのです。仕方がありません。私のリズムでは、やはりアイスは一度溶けてしまう。私の手を汚すことはなくとも、溶けたあとのアイスは、溶ける前のアイスとは似て非なるもの。冷凍庫で再度固めても、初めのころの美味しさは決して取り戻せないのです。
それはいわばアイスのゾンビ。ちがう。私が愛したのはこんなアイスじゃない。
ってか何より。衛生的にどうなんだっていう。
カップアイスよお前もか。もう私はアイス界に見捨てられた人間として生きるしかないのか。
諦めかけたその時でした。
あのアイスに出会ったのは。
ピノが私とアイスを繋いでくれた
ピノ。あの一口サイズ。
美味しさはもちろんですが、
やっぱりピノのあのサイズ感が、私を救ってくれたのです。
甘いものがガンガン食べれない私でも一口でいけるあの大きさ。あの絶妙な量。
例え好きなぶんだけ食べて残してしまっても、ピノは冷凍庫のなかで、ずっと変わらずピノのままでいてくれる。
初めてピノに出合った時は、大げさでなくマジで感動しました。
「私のためのアイスがここにある!」と…。
ピノが人気のアイスとして知られるようになってからというもの、暑い夏、アイスの差し入れで泣くこともなくなったのです。(これまでは、いただいたアイスは死にそうになりながら溶ける前に食べ終わっていた)
「アイス食べない?何がいい?」という素敵な気遣いに、「あ、わたしアイス苦手で…」などと言って場を凍らせることもなくなった(アイスだけにみたいな)。
私にはこれからもうずっと、ピノがいる。
イチゴ味だの抹茶味だのチャラチャラした限定商品を出さないとこも好きだ。
ピノ。あの円柱形。チョコとバニラの絶妙バランス。
とか言いつつ、ファミリーパックに入ってるアーモンド味は結構好きだ。あれだけ入ってるあるヤツあったら買っちゃうと思う。
ピノラブ
以上です。
宇井都
伝わるプレゼンテーションとは?
こんばんは。いちご練乳氷の代わりに「いちごがおいしい白くま」にはまっている十専口人です。
現在の仕事で、様々な人へプレゼンしたり、されたりする機会が増えました。そして、感じるのは、伝わるプレゼンと伝わらないプレゼンがあるということです。伝わるプレゼンをするにはいくつかコツがあります。今回は私が思うプレゼンのコツをまとめてみました。
①単純な言葉を使う
よく業界用語やIT用語を駆使するとカッコイイと勘違いしている人がいます。私が思うに、子供でもおじいさんでも分かる言葉で説明する方がよっぽど難しく、それをできている人の方がカッコ良いです。要するに、独りよがりになってはいけないということ。プレゼンは、相手に伝える為にやるものです。伝わらなければ、やる意味がありません。より簡単に単純に説明するというのは、本質が分かっていないとできない事です。より簡単に表現する為にはどうしたら良いかを考えていくと、自然と本質が掴めるようになり、伝わる話し方ができるようになります。
②間を置く
どこでも間を置けば良いというものでもありません。ポイントは、シーンの節目節目に置くということです。また、間の長さも重要です。節目である度合いが高いところ程、間は大きく開けた方が良いでしょう。これは全体の流れをいかに把握できているかという事に起因します。このシーンが全体の中でどのような役割なのか、その前後とどういう関係性があるのか、その理解度によって間の取り方も変わってきます。間とは、話し言葉を相手の耳にスムーズに入れる為に、文章にリズムを作る作業です。また、相手に理解させる為の時間を取る作業でもあります。
③読むと話すの違いを理解する
プレゼンテーションでよく多いのが、事前に用意した原稿を読むという事です。その方が失敗は少ないかもしれません。ただ、それで相手に伝わるかというと、そうではありません。文章を「読む」と「話す」とでは、同じ行為の様に見えても、結果はまるで違います。それは、聞く相手の働かせる機能が変わってくるからです。文章を読むと、相手はその文章の意味を正確に把握しようとする力が働きます。なので、内容の理解よりも先に、文を記憶しようと神経を集中させる為、理解が遅れてしまいます。逆に「話す」になると、相手は話のニュアンスを理解しようと機能が働きます。文言一つ一つは覚えられないでしょうが、話全体の趣旨を理解しようと意識を集中させる為、内容を把握されやすいです。文脈をストーリーとして覚えようとするので、こちらが何を伝えたいのかが伝わりやすくなります。
④対話をする
③の延長にもなるのですが、相手と対話することを心がけることです。プレゼンとは、最初にこちらが一方的に話す事が多いでしょう。なので、説明することに一生懸命になる人がほとんどです。原稿を読んでいる人は、尚更そうなるでしょう。しかし、相手に伝えたいという気持ちがあるならば、プレゼン中も相手が理解できているのかを感じながら話す事が大切です。それは、相手の表情や仕草を見ると分かってきます。資料をじっと眺めたり、首を傾げたり、前のページを読み返したり。そう感じた時は、より説明を丁寧にしたり、質問を投げかけてみたりするのも大事です。一方的に話すとは言っても、プレゼンは相手ありきです。相手の理解度を感じながら、それに合わせて話をするのも伝わるプレゼンのコツです。
⑤具体例を出す
プレゼンテーションの資料は、より端的に簡潔に文言を書いていることが多いです。ですので、そこには具体性が欠けている事が多いです。資料を元にプレゼンをする際は、具体性を重視しながら話すのを心がけると良いです。例え話や、具体的な事例を紹介しながら話すことです。映像や物のサンプルを見せるのも効果的です。ポイントは、今回のプレゼン内容を相手が実施するとどういう風になるのか、をイメージさせることです。相手の頭の中に実用した場面が描けなければ、そしてそれが良いと思われなければ、プレゼンが採用されることはありません。
相手と対話する
プレゼンに限らず、相手がいればそれは対話であり、いかに相手の事を考えられるかが、伝わるポイントです。自分の伝えたいことを一生懸命考えるよりも、相手の立場や背景、現状を理解することに時間をかけた方が、伝わるものができます。要は、何の為にプレゼンを行うのかということです。自分の為だと思っている人は、自分のことを一生懸命話します。相手の為だと思っている人は、相手のことを第一に考え、その為にやれる事を考えます。考える順番が違うわけです。その根本が、プレゼンのやり方にも表れてくるのだと思います。
by 十専口人
水腎症が痛すぎて民間療法に頼った話
相変わらず体調が劇悪、ただしちょっと回復傾向にあり嬉しい宇井都です。
なんでそんなに悪いかというと、
「水腎症」という病気になりました。
子宮がでかくなることにより腎臓に水が溜まる的な病気です。
私は痛みにはかなり強い方なのですが(処方された痛み止めを飲み損なうタイプ)、
これはやばい。激痛です。腎臓やられるとマジにやばいです。
痛すぎて立っていられません。というかしばらくは立っていられるけど、5分ほど経過すると、徐々に痛みが強くなり耐えられなくなります。
左側を下にして寝転ぶと和らぎますが、しばらくするとまた痛み出して寝てても目が覚めます。
仕事はデスクワークだけど、座ってるだけでも時々耐えられない痛みがくるので、寝転んで落ち着くの待って、また仕事して、また寝転んで…の繰り返し。だいたい10分おきくらいでしょうか。
治療できないという絶望
病院では「これ飲んで安静にしといて。治るといいね〜」みたいなフワーっとしたこと言われて抗生剤を渡されたのみ。痛み止めとかないんすか(実際には、あるにはあるけどほとんど効かないらしい)
そんで全然効かないの。よくなる雰囲気ゼロで時間過ぎてくの。
まあちょこちょこ仕事してるのもダメなんだろうけど。
いてもたってもいられずゴロゴロ寝転びながらググったら、妊娠中の水腎症には打つ手がないらしい。
もっかいいうね、
「打つ手がないらしい」です。でも、ほとんどの人は産後にスッと治るそうな。
あー、そっかそっか、それなら安心だね⭐️ってバカか!!!(これがノリツッコミです)
こんな痛みを抱えてあと数ヶ月過ごすなんて無理、死ぬ。物理的にも死ぬし、何より経済的に死ぬ。まともに仕事できないもん。
フリーの私には病欠などという概念はありません。フリーになってこの方、体調不良で仕事の用事を飛ばしたことなど一度もありません。ってか無理だよね。代理なんて誰もいないわけだし。
実際もっとも症状の重かった昨日の朝の2件の打ち合わせも、タクシー移動でなんとか乗り切りました。打ち合わせ中も冷や汗かきまくってわけのわからんテンションだったけど。しかもそんな時に限ってベラベラ話しかけてくるタイプのタクシー運ちゃんに当たって無駄にHP削られたりして。
溺れる者は藁にも縋る
すがる。もうね、すがるよ。すがるしかないよ。打つ手なしって言われて諦められるかと。
かろうじて「泌尿器科系の病気にはクランベリージュースがいい」という情報をゲットしましたが、質のいいクランベリージュースなんてスーパーには売ってません。クランベリー風味の甘ったるい清涼飲料水ならあるかもしれませんが。
高級スーパーに行けばゲットできるかもしれないが、果たしてこの腎臓を抱えてたどり着けるかというと絶対無理。
てかググってるだけで腹が痛い!痛い痛い!死ぬ!休もう(スマホおいて寝転ぶ)
(5分後)さてどうしよう。
ふと思いついた私は、検索窓に
「腎臓 解毒」と入力しました。
で、ヒットしたのが
「パセリを煮込んだ汁にレモン果汁を混ぜて飲むと腎臓の毒を出せる」
「レモンとライムと唐辛子をミキサーにかけ、漉して飲む」というもの。
普段なら「眉唾」「エビデンス出せや」などと鼻で笑う私ですが、
2秒でスーパーに向かいましたね。
謎の汁を飲む
スーパーから帰って再度床に倒れこみ回復を待つこと5分。
起き上がって早速作った怪しい汁。
まずは「レモンライム唐辛子汁800ml」。
もうね、ヤバイでしょ。調味料か、って組み合わせじゃないっすか。
みなさん、調味料800ml飲んだことあります?ありませんよね?
でも私は飲んだ。飲むしかなかった。これで治ると言われれば3ガロンだって飲んだでしょう。3ガロンてどのくらいか知らんけど。
味の感想ですが、うん、辛かったですね。でもうまいかまずいかでいうと意外にうまかったです。うまい調味料でした。
それを飲みほしたのち、唐辛子の刺激でビリビリする唇を抱えて、次はパセリレモン汁を500ml作ってちびちび飲みました。
効いてきた…?
そして驚くべきことが起こりました。
明らかに体が快方に向かってるのです。
「寝転んだら痛みが引く」みたいなこととは明らかに違うレベルで、全体の痛みの度合いが低くなっている。
その証拠に、このブログも今書けているわけで。
実際偶然かもしれません。抗生物質が効き始めたタイミングだったということも十分ありえるでしょう。
しかし、
「とりあえず治療のために何かやってやったぞ」という実感が、私にパワーを与えてくれたのは間違いない事実です。
そして思いました。民間療法はクソだとか一方的に言うのはよくないなと。根拠があろうがなかろうが、何か手段があるということ自体が、追い詰められた人間にとって救いになるのですね。
まあでも、そこの心理に漬け込んだショッボいサプリとか作ってる会社は地獄に落ちろな。
さて、今日もずいぶん夜更かししちゃったので、レモン汁飲んでゆっくり寝ます。
おやすみなさいませ。
宇井都