どうして旅に出なかったんだ
何か新しいことを始める時、勇気を出したい時、
自分を奮い立たせるために聞く曲のリストがあります。
その中でも最も鋭く心に響いてくる、友部正人の名曲。
「どうして旅に出なかったんだ、坊や
あんなに行きたがっていたじゃないか
どうして旅に出なかったんだ、坊や
うまく話せると思ったのかい」
「おまえは旅に出るよって行って出なかった
俺は昨日旅から帰ってきた奴に会ったんだ
あいつはおまえとおんなじだったよ
ただ違うのはあいつはまた昨日旅に出たけど
おまえは行かなかったのさ」
「おまえがちっとも旅に出ないもので
俺はもうあきあきしちゃったんだよ
おまえがあんなに言っていたことも
今俺にはみんな嘘のように聞こえるんだよ」
凄すぎる
何度も何度もこの歌詞を目にしたのに、文章に起こしてまた圧倒される。
あまりにも的確な表現がこれでもかと並んでいる…。
この曲を平常心で聞けるかどうかで、自分がどういう状況にいるかがわかる。
自分のやりたいこと、やりたいと言い続けてきたことに、きちんと向き合えているかどうか。
諦めたふりをして自分をごまかして生きているのか。
自分をごまかしているとき、この曲を最後まで聴くのは耐えられないほど辛く感じる。
自分のことと同時に、変わっていった友人たちを思う
私は(ちなみに十専口人も)ちょっとアートよりというか?モノづくり界隈の学校にいたので、周りの友人たちはみな、「旅にでたがって」いた。みんなで夢を語り、お互いに競い合う気持ちがあった。
18とか19とかで出会った私たちは30歳になった。皆変わった。それは良いこととも悪いこととも言えない。ただ、変わった。
半々くらいだろうか。夢を語っていたみんなのうち、半分は、もう自分の夢や目標について話さなくなった。そのかわり、給料や上司や結婚や子供の話をするようになった。
それが悪いとは決して言わない。
もう片方の半分は、今も夢を語っている。私や十専口人もそうだ。ここまできた旅路を思い、次にどこへ行くかということを語り合っている。まだどこにもたどり着けていないような気がする。モタついてばかりいる気がする。
ただ、私たちにとって、夢を語ることは決して恥ずかしいことではない。今はまだ。
「そんなこと言ったってどうせ無理だもんね」とか言って話を終わらせないと悲しくなってしまう、なんてことはない。まだ全然楽しい。すごく楽しい。
それは多分私たちが、ある程度は(満足にとは言えなくても)、自分たちがやりたいと語っていたことに、本気でぶつかってきたからだと思う。
もう半分の友人たちは、そうやって今もワクワク語り合っている様を、白けた目で見ている。バカじゃないのか、と聞こえてきそうな顔で。
私たちはバカかもしれない。でもバカでも全く構わない。
私たちを白い目で見ている彼らは、本当に夢やら何やらが、どうでも良くなってしまったのだろうか。もしも彼らが夢見ていたことが現実になるようなチャンスを与えられても、それを鼻で笑ってフイにしてしまうのだろうか。
別にどう生きていたって構わない。でも、夢を語らなくなった友人たちを前にすると、何を話して良いのかわからなくなる。「どうして旅に出なかったんだ」と、言いたくなってしまう。
以上です。
宇井都