二人で考えすぎるブログ

二人で、考えすぎずに書く練習をしています。

たかが、たかがで、たかがじゃねえか

放置していたブログだけど、

意外に今でも読んでくれてる方がいたみたいでビックリした。

十専口人と2人で1日おきに更新していたブログだったけど、

お互い忙しくて一旦休もう、、と言って早何ヶ月?

ま、とりあえず一人でも再開してみようかなあと、筆をとって、筆はとってないけどキーボードに手を添えて、ってこのくだりどうでもいいですね。

まあとにかく再開してみています。

文章かくのやっぱり好きなんだよな。

 

たかがデザイン

さて、今日書きたいのは、「たかが」ってことです。

たかが。

私は一応仕事としてデザイナー、ディレクターとかをやっています。

主に広告をやっています。

一応、っていつでも今でもつけてしまうのは、やっぱりなんか自信がないからで、良くないなと思うんですけどね。ま、一応。

でね、デザインとかこういう界隈で仕事をしていると、

色々なデザイン論とかね、広告論とかね、耳にするんですよね。

「私はこういうデザインをやりたい」

「デザインとはかくあるべし」

「デザインの力で価値をうんぬん」

ブランディングがうんぬん」

「この想いを届けるためにデザインの力でうんぬん」

みたいなことをね。

で、私は正直に申し上げて、こういう言葉を聞くと、しらーっとしてしまうのです。

心の中でやはりどこか、、

「たかがデザインじゃねえか」と思ってしまうところがある。

デザインにはたしかに力があります。

でも、デザインだけが力を持ってるわけじゃない。デザインは全く万能ではない。

たかがデザインだ。神じゃない。人じゃない。愛じゃない。

 

たかが飲み物

んで先日、とあるワインバーの3周年記念のパーティーに行ったのです。

そこはすごくこだわりのワインを出しているので有名なお店。

几帳面な雰囲気の店主が、独自に仕入れたワインを、控えめに語りながら勧めてくれるのです。

すごくしゃれた店。

グルメな人々が互いに目配せしながら、品良くワインを飲む。

みんな見た目から振る舞いまで何から何まで洒落ていて、

まったくもって隙がない。

ワインが好きだけど未だに何の知識もない私は、

勧められるままグラス1500円のワインを注文し、

その様子をぼーっと見ながら、なんか、

「たかが飲み物じゃねえか」と、やっぱり、おもったのでした。

 

知識のない奴の負け惜しみ

と言われてしまえば、まあ返す言葉はないのです。

一応デザイナーのくせに未だにフォントとか全然詳しくない。筑紫系が好きだなーっていうくらい。

でもね、たかが。やっぱりたかがなのよ。たかがデザイン。

ワイン好きのくせに未だにブドウの品種とか全然よく知らないしさ。好きなやつだけは覚えたけど。えーっとなんだっけ。ど忘れした(忘れてんじゃん)

やっぱりね、たかがなんですよ。たかが酒じゃん。たかが飲み物じゃん。

たかがデザイン、たかが酒、そこに必死になって取り組む人がいる。それはそれで素敵です。

でもそれは、デザインだから酒だからステキなわけじゃない。

テレビゲームにめちゃめちゃ必死になって取り組む人も、同じように素敵。

テレビゲームがたかがテレビゲームなら、なんだって、たかが、なんだよ。

 

じゃあ何がほんとうなのか

神と人と愛でしょう。そしてこれらは多分同じものなんじゃないかな。

なんつって意味不明だしキモい気がするので、

もう少しちゃんと書くと、

例えば友達と本当に心が通いあうような一瞬があって、

あ、この日が終わらなければいいなあーと思うような、

そんなものだけが、私にとっては、たかがじゃないもの。

あとは他にもいろいろ。

子供が私の顔を見てにこっと笑ってくれたり、

役に立たないものを、楽しく一生懸命作っている瞬間だったり。

すごく好きな映画に出会った時だったり。

そんなものを、デザインやらグルメやらで本当に生み出せるなんて、人為的に作り出せるなんて、傲慢じゃねえか、という気持ち。だから、やっぱり、

本当のもの以外は、全部全部、たかが。だと思っていたい。

 

たかが、たかがでたかがじゃねえか

タイトルにした文章の元になっている、三上寛氏の歌の詩のくだりで締めくくりたいと思います。

 

「哲学だの芸術だなんて 恐ろしいもんだぜ

 表現だの想像だのヌケヌケ言ってやがる

たかが言葉のオリンピックじゃねえか

たかがたかがでたかがじゃねえか…」