二人で考えすぎるブログ

二人で、考えすぎずに書く練習をしています。

東京の飯は本当にマズイのか?

8割まで書いた記事が綺麗サッパリ消えた!!!!!

でも不思議と心安らかな宇井都です(ストレス耐性アップ中)

前回に引き続き、東京の食の話を。

hitorino.hatenablog.com

東京の和食の名店で4万円(ちなみにドリンクとサービス料込みなら5万くらい)使い、マズイ魚を食べるという衝撃体験を経て。

他にも、夫とともにいろいろな店を回って達した結論編です。

東京の魚、だいたい美味しくない。いくら金出しても美味しくない

前回の記事でも書いた通り、高級和食の店で食べたお料理は、たしかに美味しいものもあったのです。

野菜や、エビやカニを使った料理、魚でも、濃いめに味がついた料理はとても美味しかった。

一方で、お造りや焼き物など、素材の味がもろに出る料理はイマイチ、いや不味かった。

となるとやはり、料理人の腕には間違いなくて、問題は素材の方にあるはずです。

名店の刺身のまずさに衝撃を受けた私たちは、ほかのお店でも魚をいただきました。

ある店は、そもそも、濃いめに味をつけた魚しか出していませんでした。そして美味しかった。

しかし別の店では、魚を避けてオーダーする私たちに「うちはお造りが一番有名なんです」と女将さんから一言。で、仕方なくお造りを頼み、やっぱり不味かったのでした(なんの冗談かと思ったけど、あとで口コミを調べたところ、みんなお魚の味を絶賛していました)

ちなみにここでいう「マズイ」はどのくらいマズイのかというと、もちろん、食べた瞬間もどしたくなるほどマズイというわけではありませんが、

「福岡の中心地で、週末どの店も空いてなくて仕方なく入ったガラガラの居酒屋で、期待値ゼロで頼むしょぼい刺し盛り、そんなシチュエーションでも多分一度も食べたことないレベルのまずさ」という感じです。普通にまずい。

夫は、「でも、東京の魚介ががまずいって決めつけるのは早すぎるんじゃない?俺たちが行った店も、高級店といえど、ひとり2万円しか出してないわけで。最高級店に行けば、美味しいお刺身くらいあるんじゃないの?」と言っていました。

たしかにその可能性は否定できません。私たちが行ったのは「最高級」の店ではありませんでしたから。

でも、東京の最高級の和食店ってひとり一食いくらだと思います?3万円くらいですよ。私たちが行ったお店が2万円。あと1万円積んで出てくる刺身って、どんなものなのでしょう。私たちが福岡で食べてる魚より美味しいでしょうか?1万円積むだけでそこまでの飛躍があるとしたら、逆に3万円の店、コスパ良すぎでは?

もしかすると、庶民ではそもそも知ることさえ出来ない、1食10万円とかする超ド級の金持ち専用の会員制の店とかがあるとしたらわかんない。そこでは美味しい魚があるのかな。っていうもうファンタジーの世界。東京の魚は多分、どうしたって福岡より美味しくない。

だって、福岡ですごく美味しい刺身って、ちょっと良いとこ行ってもひとり一食五千円くらいで食べれますよ…。

東京のマグロ、甲殻類、肉、野菜は美味しい(?)

ただ、もちろん、全てにおいて福岡の食が優ってる!なんてこともありません。

福岡で、ちょっと食通の人からよく聞く言葉に「マグロは東京の方がうまいよ」というのがありますが、これはね、あんまりしっかり検証してないですが、真実味がある気がします。

てかそもそも、福岡でマグロって、あまり食べないんですよね。高級鮨屋とかに行けばあるんでしょうが。美味しいのが確保できないから食べないのかなあ。

東京で少しだけたべたマグロのお刺身は、福岡で食べるマグロと同じか、もっと美味しいと感じました。

あとは、エビとかカニも美味しかった。エビとかカニは、お刺身ではなく、お料理に使われているのを食べる程度でしたが。

ももしかしたらこれも、福岡ではあまりエビやカニを食べないからかもしれない。 少なくとも他の魚ほどは食べないから、私たちが食べ慣れていないために、美味しいと感じたのかもしれません。

あるいは、魚に比べて、エビやカニは劣化しづらい素材であるとか?よくわかりません。

北海道行ったことないんですが、北海道とかだとカニが美味いとかいうから、北海道の人が東京きたら「カニまっずー」とか思うのかしら。とか。野菜も同じ感じ。

お肉料理も美味しかったです。東京にで食べるお肉は、素材云々もそうですが、何より調理がすごかった。火の入れ方、味付けの仕方に、最先端・最高峰の技術を感じましたね。

 

東京には最高の技術と最高の素材が集まるかもしれないが、素材の一部は集まる間に劣化する

というのが私と夫の出したとりあえずの結論です。

東京は店の数も人の数も多く、日本中から集まってきた料理人が腕を競い合う土地。料理人の質は最高、素材ももちろん良いものが集まってきます(ただし高級店にかぎる)。

ですが、素材は流通する間にどうしても劣化します。

だから、どんな土地から来た人でも、「自分の出身地ではもっと高品質な状態で食べられる素材」が東京では美味しくないと感じるし、一方で、東京だからこそ、「自分の出身地では食べられない高品質食材」に触れることもできて、そういうものはおいしいと感じる。少なくとも、自分の土地で食べるよりは、東京のほうがいい状態で食べられるものもたくさんあるはずです。

よって、魚が美味しくて野菜が美味しくない地域の人が東京に来ると『魚はまずいけど野菜が美味しいね』と言うでしょうし、野菜が美味しくて肉が美味しくない地域の人が東京にくると「野菜はまずいけど肉が美味しいね」と言うでしょう。

どんなに美味しい素材を仕入れても、その素材を最高の状態でいただけるのは、やはり産地ならではの特権なのですね。

一方で、やはりさすが日本の中心と言いたくなるのは、料理のテクニックの方です。

調理の技が光るイタリアンやフレンチや中華、パンやお菓子などなど。こういうものは、日本中のどこよりも美味しいものが食べられるのが東京ではないでしょうか。

和食というのは素材、とくに魚を活かす料理ですから、魚が美味しくない東京は不利だと思います。技術はもちろんピカイチなのでしょうが、なんせ素材の状態がひどい。

おなじように技術が優れていれば、美味しい素材を仕入れられる店が勝ちます。ゆえに、「東京で技術を磨いた職人が魚の美味い土地で出す店」というのが、最強の和食の店になると思います。それがどこなのか、魚が一番美味しい土地とはどこなのかは、私にはわかりません。なぜなら、魚には種類があり、それぞれの種類が最高の状態で食べられる土地って絶対に違うので。

魚を食べるなら絶対に東京より福岡

改めて福岡って、全国的に有名なのは「もつ鍋」「とんこつラーメン」とかですが、魚介もすごく美味しいのですね。これまで完全に舐めきっておりました。

「私のふだん食べてるもんなんて大したことないだろ」って。そんなことなかった。福岡ってやっぱご飯美味しいんです。

まあでも魚が美味しいのって多分九州全体に言えることで、他県の方からは「いやいや福岡の魚とか笑」って声も当然あるでしょうけども。

東京の皆さん、もし福岡にお越しの際は刺身を食べてみてください。やっすい店でも、東京の高級店より美味しいですよ。安いしね。

以上でございます。

宇井都

満たされて生きるとは?

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こんばんは。撮影の為、明日から大分へ出張の十専口人です。朝3時起きです(T . T)
今朝、会社へ向かう道中にあるものを見つけました。

「満たされて生きる」

そう書かれた紙が、教会の入口に貼ってありました。そして、少し考えました。「満たされて生きる」とはどういう事を言うんでしょうか?

満たされる時ってどんな時?

食事で例えると、お腹いっぱい食べた時?それとも美味しいものを食べた時?それとも大好きな人と一緒に食べた時?感じ方は人それぞれですよね。

ただ、果たして満たされっぱなしの人生ってあり得るのでしょうか?

お腹いっぱい食べ続けたら、太っていきますし、それでも続けると病気になるかもしれません。美味しいものばかりを食べ続けたら、必然とお金がかかりますし、それでも続けると金欠になるかもしれません。大好きな人とずっと付き合う事ができれば良いでしょうが、いつかは別れが訪れるものです。

そう、永遠に満たされる状態が続くわけではないのです。それでも人は、常に満たされたいと思って生きています。言い方を変えれば、常にどこか不足感を感じて生きているということです。

不足感と充足感

人の成長の為に必要だと思うのが、この不足感と充足感の繰り返しです。人は生きている以上、「○○が欲しい」「○○をやりたい」「自分には○○が足りない」などの不足感を感じます。それを得る為に努力して、何とか手に入れようとします。そして望んだものが手に入った時には、次に足りないものを感じています。

不足感は誰でも感じることができるものですが、充足感は皆が感じられるとは限りません。常に不足感を感じ続ける人も中にはいると思います。その人は、何で自分はこんなに不幸なのか?何をやっても上手くいかない、所詮人生こんなものだ、と半ば諦めてしまう人もいるでしょう。しかし、考え方を変えれば、誰しも充足感を感じることができるようになります。

ハードルを下げる

ここで私がポイントだと思うのが、それぞれのハードルの高さです。不足感を感じるハードルも、充足感を感じるハードルもできる限り低く低くして、繰り返すスパンを短くし、頻度を多くしていく事が重要です。
例えば、「月収100万円欲しい」と思って努力するのと、「まずは月収5万円上げよう」と思って努力するのとでは、見ている距離が異なり、それによってやるべき行動が変わります。

人によって合うやり方があると思うので一概に言えませんが、あまりにも遠くのものを見ていると、そこまでの道のりを頭で描く事ができません。月収100万円にする方法は検討がつかないかもしれませんが、月収5万円上げる方法なら色々と思いつきそうじゃないですか?そうやって、まずはある程度道のりを描けるゴールを目指すことが、達成の近道だと思います。そして、それをとにかく沢山繰り返していくことです。
また、ちょっとした事でも達成感を感じるように意識することが大事です。例えば、今日は昨日よりも○件多くアポが取れた、いつもよりアポまでの流れがスムーズになったなど、できた事、成長した事にフォーカスしていくと良いです。

そして、できた自分を褒めて、認めてあげることで、継続する為のモチベーションが生まれます。今月は売上ノルマ達成できなかったから駄目だ、と思うよりも、今月は新規顧客を増やすことができたから良し。来月は、その顧客から今月の不足分を補うぞ!と思えるかどうかです。

結局

常に「満たされて生きる」ことはできないだろう、というのが私の見解です。何か足りない、もっとこうしたいという欲求があるからこそ、人生は楽しいのではないかと思います。目指すものがなくなった人生に面白みはあるのでしょうか?

人は満たされたいと思って生きながらも、決して満たされることはない。そんな矛盾の葛藤の中で生きていく生き物なのだと思います。

 

by 十専口人

福岡の人間が東京の高級店でいただく和食に(悪い方の)衝撃を受けた話

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とうとう一回、ブログ当番をサボってしまい大きな十字架を背負った気分の宇井都です。誰に怒られるわけじゃないけど、すいませんした…

さて、前回のブログでお伝えした通り、福岡人の私が、東京に「本当にうまいものは東京にある説」を自ら検証するため旅に出ていました。

hitorino.hatenablog.com

4日間に渡り、お金のことはなるべく気にせずいろんなものを食べましたが、

今回は、その中でも一番期待していて、一番お金をかけた「和食の名店」のお話です…。

隠れ家的名店に圧倒される

立地はよくなく、看板は小さいけれども、上品な佇まい。

 

和食の店でありながら、フレンチレストランのようなお洒落でモダンな内装。

 

食べログでも絶賛の嵐、著名な東京の名店ランキングにも名を連ねたというその店の空気に、

 

私たち夫婦は完全に圧倒されていました。

「やばいね…」

「やばいね…」

とバカ丸出しのセリフを囁きあう私たち夫婦。

 

そう、そこはまさに大人のための隠れ家。

 

先客のサラリーマンたちのために腕をふるう職人然とした店主の横顔を、固唾を飲んで見守ります。

 

予約したコースは20000円。

二人合わせて4万円。4万円!

私たちのような庶民には、もちろん日常的に出せるような値段ではありません。ていうか、一食にここまでのお金をかけたのは初めてです。

バイトと思しきお姉さんに最初のドリンクを尋ねられて日本酒を注文し、最初の料理が運ばれてくるのを「すごいね(小声)」「楽しみやね(小声)」と囁き合いながらワクワク待ちました。

 先付、八寸、お椀…感動に注ぐ感動 

絶妙のタイミングで次々と目の前に並べられていくお料理は、見た目も美しく、味わいも品が良く、さすが名店、これぞ名店、という味わい。

 

「美味しいね」

 

「どうやったらこんな味になるんかな」

 

「お出汁が本当に上品な味わい」

 

「これすごいよ…」

 

相変わらず地声で話す度胸がでない私たちは、感想をヒソヒソ囁き合い、初めて出会う高級和食の味に興奮。

 

旬の野菜のあと引く美味さを堪能しながら、こだわりを感じる美しいおちょこにそっと日本酒をそそぎ、口に運びます。

 

和食には日本酒。この間違いのないハーモニー。

 

その時の私の頭には、

 

「それから私たちは、これまで味わったこともないような美食に舌鼓をうち、感動に胸打たれて店を後にしました…」

 

という未来がもう、鮮明に浮かんでいましたね。

 

そしてお造りへ

「お造りです」

 

ガラスの美しい器に盛られた3種類のお魚。

 

こんな高いお金を出して食べるお刺身は初めての私たち。

 

これはカツオです、イカです…丁寧な説明を聞きながらも、

 

私たちの目の前に並んでいるのは、私たちが福岡で食べてるようなカツオやイカではないことがわかっていました。

 

なぜならここは東京の名店。日本一の店が集まる東京の名店です。

 

私はカツオに、夫はイカに、それぞれわさびを乗せて箸でつまみ、しょっぱい東京風の醤油に少しだけ浸し、口の中に運びました。

 

そこには緊張がありました。本当に美味しいものを今から食べられるという、嬉しさの混ざった緊張。

 

味覚に全神経を集中させながら、ゆっくりと噛み締めた…

まずい

とんでもないことが起こりました。まずいのです。もうまずい。普通にまずい。何やったらちょっと臭い。え?え???私が食べたカツオがいかんかったの?何なの?

動転しながら夫の方に目線を送ると、イカを食べた夫も、同じ顔でこちらをみていました。

刺身まずいね

でした。普通にまずい。こりゃどうしたことか。何だこりゃ。まずい。

いやまずくないっていうか、普通?いやまずいな。まずいわこれ。こっちもまずい。あ、こっちもまずい。3種類ともまずいね。

そしていつの間にか終了

刺身で動揺した私たちはすっかり集中力を落とし、そのあとは驚くようなスピードで時間が過ぎて行きました。

焼物、そのお店の名物、飯物、甘味。

順に、「普通未満」「普通に美味しい」「普通に美味しい」「普通未満」。

てかさあ、和食のデザートってやたら手抜きなこと多くない?何なの?

日本酒をもう一杯頼んでスッスッと飲み終え、そそくさとお店を後にしました…。

私たちの4万円は謎とともに消えた…。

そのあと、ホテルに帰る間も、ホテルに着いてからも、

「今日食べたものはいったい何だったのか」

「東京の名店とはいったい何なのか」

大激論を繰り広げました…。が、その話はまた改めて。

 

私たちの「本格和食」初体験は、思いもよらない形で幕を閉じたのでした。

 

宇井都

幸せを逃してしまう10の言動

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こんばんは。人の記憶力のパワーに驚いている十専口人です。実は、この前ある曲を耳にしたのですが、瞬間ついつい口ずさんでしまいました。曲名もアーティストも全く記憶になかったのですが。

曲名を調べてみると・・・

youtu.be

自分でもびっくりしました(笑)

妹が大好きなアニメだったので、自然とエンディング曲を覚えていたのだと思います。もう20年くらい前の話ですが・・・。いや~記憶力って恐ろしい。

さて、今回は「幸せを逃す言動」について書いてみます。「幸せ」ってそれぞれの基準があり、本人が「幸せ」と感じればそれは「幸せ」なので、定義がとても難しいです。

ここで書く幸せとは「運」みたいなものと考えてください。運は、偶然や奇跡の産物と思われがちですが、実際は作ることができるものです。引き寄せるように仕向ける、といった方が近いでしょうか。私が言う「運」とは、「人」「ご縁」のことです。

皆さんが、運良いなと思う瞬間ってどういう時でしょうか?大抵、人との出会いが絡んでいませんか?

運が良い人とは「人(ご縁)を呼び込む力がある人」

呼び込んだ人が「プラス」の力を持っている人であれば「幸運」、「マイナス」の力を持っている人であれば「不運」となります。「幸せを逃す言動」とは、マイナスの人を引き寄せる行為ということです。

私は基本的に「この人マイナスの力持っているなー」と思う人には極力近づかないようにしています。というのも、人は、一緒にいる人に必ず影響を受ける生き物だからです。自分がどんなに注意していても、一緒にいる人がマイナス思考だと、知らないうちに自分もマイナス思考になっていきます。だから、真剣に付き合う人は選ばなければいけません。

幸せを逃す10の言動

①愚痴を言う

愚痴とは「言っても仕方ないことを嘆く」こと。つまり、言いたいだけ言って解決する気が全く無い人のことです。しかし、全く言わないのも体に毒ですので、多少は言った方が良いと思います。ただ、言う人は選ぶべきです。吐き出す為に言うのは良いですが、何の解決にもならない事を理解しておくべきであり、それを分かっている人に言うべきです。

②過去の話をする

「昔はこうだった」「あの時こうしていれば・・・」と口癖のように言う人。「で、今どうなの?」って言い返したくなります。過去の栄光や失敗の話をいくらほじくり返しても何の解決にもなりません。そういう人と一緒にいても、いつまでも成功しないように思います。

③言い訳をする

「○○だったので」「時間が無かったので」と出来なかった理由を言う人。全て言い訳にしか聞こえません。その後に具体的な解決策を提案するなら良いと思います。ただ自分を正当化する為だけに言う人が多すぎます。結局自分しか守るつもり無いんだなと思ってしまい、いずれ自分もそうやって言い訳の対象にされるんだろうなと感じてしまいます。

④できない話をする

会議などで出来ない話ばかりする人いませんか?アイディアを述べたいだけの人、自分の発想力を自慢したい人。ブレーンストーミング等ではそれも大切ですが、要はそこで終わらないことが肝心です。アイディアを出すこと以上に、どうやったら実現できるか?と考える時間を割く人は、必然と成功する人だと思います。

⑤アラを探す

マイナスしか見てない人のことです。物に対しても人に対しても欠点を見つけることに一生懸命で、それを周囲に知らせることで自分の存在価値を見出しているような人たち。欠点を指摘するなら、それなりの責任と覚悟が必要です。「ならどうすれば良いのか?」改善策の提案と、それを実施する覚悟を持つ必要があります。

⑥期限(時間)を守らない

私が「この人信頼できないな」と思う一番の要因かもしれません。口ではマイナスな事を言っても、期限を守る人の方が信頼できます。その人にどんな理由があったのかは分かりませんが、それで遅れるということは、そっちの方が自分より大切なんだと思ってしまいます。「期限を守る」とは、相手に対する思いを行動で示すことです。もちろん、物理的に不可能な場合もありますが。

⑦連絡(報告)が遅い

これも行動で示しているかどうか、という話です。相手の都合も考えている人は、こうならないと思います。「ここまでに○○します」と最初に期限を約束したり、「現在○○しています」と中間報告することを忘れません。連絡が遅いという事は、自分の都合しか頭にない人です。

⑧自分が基準

自分の知らないもの、興味ないもの、経験ないことに対して常に否定的な人のことです。アーティストならそれでも良いのかもしれません。自分の世界観を突き詰めていくことが、その人の魅力に直結しますから。それに突き抜けたアーティストは、自分独りで生きていく覚悟を持っているように思います。ただそれでも、相手を思いやり、優先できる人は自然と人が集まってくる人だと思います。

⑨プライドが高い

ここで言うプライドが高い人とは「自分が勝ったか負けたかで判断する人」や「自分の非をなかなか認めない人」の事です。周りから認められたいけど、自分は変えたくない。その気持ちが強ければ強いほど、じゃあ勝手にすれば、と思ってしまいます。自分を変えることを厭わない人は、素直で、前進することにフォーカスしています。

⑩逃げる

嫌なことを後回しにしたり、避けようとする人のことです。不安な気持ち、怖い気持ちは誰にでもあります。しかし、そこから逃げているといつまでも成長できません。失敗するかもしれませんが、挑戦しなければ成功は決して訪れないのです。

幸せをつかむ為には

自分が「プラスの力を持つ人」になるということです。そうすれば、自然とプラスの人を引き寄せるようになります。その為には、プラスの力を持つ人と一緒にいることです。矛盾しているように思うかもしれませんが、一人でプラスになろうとするのはかなり困難です。最初は、プラスの人の傍にいることで、プラスの考え方、発言、行動を習慣化していくことです。

どんな人と一緒にいたいと思うか?

自分がそういう人になれば、自ずとそういう人が寄ってきます。重要なのは、それを「行動」と「結果」で示していくことです。

 

by 十専口人

徒然なるままに

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こんばんは。ここずっと睡眠時間2〜3時間で寝不足気味の十専口人です。いやーここ数日、怒涛のように仕事が舞い込んで来てます。大変嬉しいのですが、コピーロボットが3台は欲しいとこです(ToT)

というわけで今回は、仕事で感じた事を徒然なるままに、何の脈絡もなく並べてみました。(すいません、思考の放棄ですm(._.)m)

素直な人は成長が早い

昔、私が尊敬する経営者の方から教えていただきました。どんな人にも価値観、考え方、プライドがあります。それを捨てるということではなく、吸収率を上げるということです。

自分が「ん?」と疑問に思うようなことでも、一度真似をしてみる。すると意外な側面が見えたりします。それを吸収することで、幅が広がったりします。この素直さが成長スピードに繋がります。
素直な人は、一年後に会うと見違える程変わっています。教える側からしても、素直な人には進んで教えたくなります。だから相乗効果的に成長できます。

ただ、重要なのは、成功している人、あるいは尊敬している人から学ぶということです。誰の真似をするのかで成長の方向が変わります。先輩だから、上司だからという概念に囚われていると成長の機会を失ってしまいます。

本当に学ぶべき人は、自ら見つけ教えを乞いに行かなければ、いつまでも変わることはできません。受け身のスタンスではなく、勝ち取るスタンスが大事です。

目標を持つこと

仕事でも人生でも目標を持つことは大切です。それがその人の指針になり、生き方になるからです。しかし、あまりにも想像を超えるような目標は、かえって逆効果になる場合があります。それは、何をやっても進展が見えず挫折感を味わう恐れがあるからです。

大きな目標に向かうコツは、いくつもの小さな目標を作ることです。そして少しでもクリアできたのなら、自分を褒めてあげること。自分で自分を認めてあげないと、自尊心が失われていきます。そして自尊心を失った人は、他人から認められようと他人に左右される人生を送ってしまいがちです。

少しずつで良いので、小さな成功体験を積み重ねていくこと。それが数年後には、必ず大きな差となって表れます。継続に勝るものは無いとつくづく思います。

仕事の質は相手を思う気持ちに比例する

自分の技術や経験の為だけに仕事をしている人は、その仕事の先にある相手のことを考えられません。逆に相手のことを思う気持ちが強い人は、自分の都合以上に相手の都合を優先させます。この意識の違いで、仕事の質が大きく変わります。

まず、単純に気づくポイントが変わってきます。自分の事に一生懸命の人は、技術や見栄えに目が行きがちです。そして、完成させたら終わりという気持ちが強いです。相手の事を大事にする人は、相手の背景、状況、気持ちに目が行きます。そして、自分が関わることで、相手がどう変わったかということに重きを置いています。

この意識の差は、表立って見えない部分ですが、実は仕事を終えた後は、相手の中に見えるかたちでしっかりと残ってしまいます。それが次の仕事にも影響します。やはり大切なのは、相手と真摯に向き合い仕事をすることです。

「芯」の大切さ

どんなに見栄えのするものでも、芯の無いものに人を動かす力はありません。今の世の中は、技術革新が進みすぎてそこがおざなりになっている気がします。それは製品やサービスに限ったことではありません。人として「芯」があるかどうか。

「芯」がある人には、自ずと人がついてくるように思います。それは筋が通っていて信頼できるから。仕事の良し悪しはそこで決まってくるような気がします。

「他人のふんどしで相撲をとる」ということわざがあります。いわば自分で戦えるふんどしが無いということです。失敗や方向転換というのは誰にでもあることですが、自分の生き方の「芯」は常に持っていたいものです。

目的は何?

AIとIoTの発達で、人間の仕事自体が変化しています。一人一人が個々としての働き方を真剣に考えなければいけない時代になりました。今後も働き方の自由化は止まらないでしょう。

ただ思うのは、働き方に捉われすぎてはいけないということです。昔に比べて、「フリーになりたい」「起業したい」という人とよく出会うようになりました。しかし、それが目的になってしまっている人も多いです。

フリーや起業はあくまでも手段の一つで、その先にある目的が大切です。

「何の為に何をしたいのか。」

その為に働くのなら、フリーランスでも、会社員でも、起業家でも何でも構わないと思います。自身と真剣に向き合うことを忘れてはいけません。

以上。

 

by十専口人

「福岡の食べ物は東京より美味い」は本当か 検証の旅に出ています

宇井都です。

先週は台湾で食い倒れ旅行、

日本に帰ったと思ったら水腎症でぶっ倒れ、回復するかしないかのうちに現在東京にいます。

腎臓はだいぶ良くなり、普通に歩き回れるほどになりました。健康は宝。

さて、今回の旅行にはかなり明確な目的があります。

タイトルの通りなのですが。

東京帰りの福岡人、東京の食をdisりがち

私は福岡の人間なのですが、同じく福岡育ちの私の友人の多くは東京で就職しました。

で、そんな友人たちが福岡に帰省すると必ず言うこと。

「東京はどこ行ってもメシまずいんだよ。福岡で美味しいものたべて帰りたい」

「東京はとにかく魚がマズイ」

「東京で美味いもの食べれない」

「東京ではチェーン店が美味く感じる」

とにかく東京の食をdisるわけです。

こういうことばっか言うからね、

福岡の人間は福岡が最高だと思い込んでるクソ田舎者だって陰口叩かれちゃうんですよね。

私は福岡にしか住んだことない生粋の福岡人のくせして、大して福岡に愛がないので、

これまで基本的にこういう意見には懐疑的でした。

「ちゃんとお金出せば、東京の方が美味しいものあるでしょ」

だってそうでしょ、東京だよ?中心地だよ?美味しいものが福岡にあって東京にないなんてあり得ない。

そりゃあ、流通の関係で多少は値段がはるかもしれない。

でも、東京の飯はまずいなんて、所詮貧乏人の悲しいグチなんじゃーないの?絶対そうに決まってるよ。田舎貧乏人乙(言い過ぎ)

というのが私のこれまでのスタンス。ね、けっこう冷静でしょ(逆に東京に期待し過ぎという話も)

そもそも私は旦那が飲食関係なのもあって、一般の感覚からいうと、いろいろなものを食べている方だという自負もあって。

東京の飯マズイとか言ってる君ら、そもそも福岡でもそんなに美味しいもの食べてないじゃないかと。

君らの舌なんか私は信用しとらんぞと。そのように思いつづけてきました。

しかし、問題がひとつ。

そんなこと言ってる私こそ、東京の食を全然知らないのです。

東京の「本当に美味しいもの」を求めて旅に出た

じゃあ実際に体験してみようじゃないか、というわけで今回の旅になったわけです。

参考にしたのは

「東京最高のレストラン2017」という本と、

東京グルメに詳しい方のグルメブログ。

そして、飲食店勤務の旦那がお客様や同業者から得た口コミ。

明らかに私より舌が肥えているであろう人々のアドバイスを元に、本当に美味しいものを食べようと。

食べるのは以下のメニュー。

・和食

・焼き鳥

ハンバーガ

・蕎麦

・イタリアン

一応事前に、それぞれのジャンルについて、福岡で「私と旦那がいま一番美味しいと思う店」を一通り回ってきました。

ちなみに、私も旦那も、福岡ではそんなに高いものは食べたことがありません。

一人一食の予算はせいぜい3000円〜6000円まで。

今回の東京グルメツアーはお金の制限をなるべく設けないことにしているので、

一人一食の予算4500円〜20000円くらいまで。

これでちゃんと美味しいものが食べられれば、

「ちゃんとお金出せば、東京には美味しいものがあるんだよ」と堂々と言えるでしょうし、

これでどこに行っても大して美味しくなければ、

「たしかに福岡の方が美味しいお店多いねえ」と言ってよさそうですよね。

ちなみに現時点では

現在、予定の7割ほどの店に行き終わりましたが…

難しい結論にたどり着きそうです。

今日なんて、夕食を済ませた後、旦那と「東京の食」について大激論になりました。

興味深いことが書けそうなのは間違いないので、

次回ブログで必ず書きます〜

 

今日はそんな感じで、以上です。

 

宇井都

ボランティアに感じる違和感

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こんばんは。新商品に目がない十専口人です。本日も新発売の「おいしい水〜スパークリングカルピス味〜」を見つけて即購入してしまいました(笑)

さて今回は、今流行りの「ボランティア」についてです。正直、私はこの言葉が大嫌いです。というと誤解を生むかもしれないで先に言っておきますが、ボランティア活動自体や、それをやられている人に対しては何とも思っていません。日本で一般的にされているボランティアの捉え方が嫌いなのです。

そもそもボランティアとは?

ボランティア(volunteer)の語源は、ラテン語の「volo」(ウォロ)だそうです。これは、「自分から進んで〜する」「喜んで〜する」という意味。つまり「自発性」が言葉の本質です。

その意味で言うと「ボランティア募集」っておかしくないですか?募集されている時点で、自発性は無いように私なんかは思うのですが。もちろん、募集する側の意見も分かります。知らせなければ、集まる余地すらないでしょうから。でも、それならボランティアって言葉は使わないで欲しい。「支援者」や「お手伝い」で良いじゃないでしょうか?
自発性という本質を考えるなら、ボランティアって言葉を使うことにすら疑問を感じます。せいぜい、自発的に活動している人を見て、あの人はボランティア精神旺盛だね、というのならまだ分かります。ですが、今や自ら「ボランティアやっている」と言う人がいます。私はそれが違和感を感じて、非常に気持ち悪いです。

黙ってやればいい

世間でボランティアとされる活動は、やりたい人はやれば良いです。ただ、黙ってやることが条件。自ら進んでやっているはずですから、敢えてやっている事を周りに言う必要はないでしょう。

街でよく見かける募金活動もそうです。本当に支援したい気持ちがあるなら、そして人からの支援を待つ時間があるなら、自ら働いて稼いで、そのお金を募金すれば良いのでは?と思うのです。多分その人が一日で稼げる日当の方が遥かに大きな金額じゃないでしょうか。だから、私は街の募金活動には一切お金を入れず、コンビニの募金箱などに入れています。

やっている人から凄く矛盾を感じるのです。本気さが伝わってきません。自ら進んでやっている人が、他人にも勧める理由が分からないのです。そこには、私もこんだけ頑張ってるのに、あなたは何もしないの?という意識が隠れている気がしてなりません。まあ、そう感じる私がおかしいのかもしれませんが。

無償の本当の意味

ボランティアには「無償で」という枕言葉がついてきます。この無償というのが、色んな場面で人と人の関係をややこしくしているように思います。

無償とは報酬ゼロということですが、友人関係だからこそ悩ませるワードでもあります。言葉には出てきませんが「○○やってくれる?」と友達から言われると、その後ろには「無償で」という言葉がカッコになって存在しています。

私も動画制作を生業としていますので、結婚式の動画などよくお願いされます。しかし、これは本当に良くないです。もちろん、本当に嫌な時は私も断りますし、本当にやりたい時は無償でやると自分から言います。しかし、友人という関係だけでその一線を越えてしまう人が多すぎます。まあ私も気づかない内に誰かにやっているのかもしれませんし、その意思をしっかり相手に伝えない自分も悪いのですが。
無償とは、自ら出費してでもやりたい時に使われるもので、むしろお金もマイナスになることの方が多いです。つまり、無償でお願いするということは、相手の時間とお金を減らす行為なのです。その重さを、多くの人が気づいていないフリをしているように思います。

結局は

自分がやりたいかどうかだけの話で、他人や周囲をどうこうするのはおかしな話という事です。だから私は、ボランティア活動をしている人が偉いとも素晴らしいとも思いません。変な言い方ですが、当たり前と思っています。それを周りが、素晴らしいとか見習うべきとか言うからおかしな方向にいくのです。その人はやりたくて、進んでやっているのだから、ほっとけばいい。それを見てやりたいと思ったなら、黙って一緒に加われば良い。それを周囲に知らせるのは何の目的なのか?

うーん、やっぱりボランティアって言葉は嫌いだ。

 

※今回の記事で不快に感じた方がいらっしゃたら申し訳ありません。あくまで一個人の意見です。

 

by 十専口人